トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 山梨県埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0298三ノ側遺跡
ページID:38472更新日:2017年5月22日
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都留市の遺跡0026四ノ側遺跡-平安時代住居-0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-0080玉川金山遺跡-土坑墓-0090玉川金山遺跡-炉穴-0093玉川金山遺跡-鉄鏃-0099玉川金山遺跡-地下式坑-0118玉川金山遺跡-集石-0182玉川金山遺跡-台石-0082中溝遺跡-耳飾り-0104天正寺遺跡-弥生土器-0128天正寺遺跡-さまざまな弥生土器-0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0190中谷遺跡-三角とう形土製品-0258中谷遺跡-注口土器と蓋-0263中谷遺跡-集石土坑-0167美通遺跡-敷石住居跡-0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-0201美通遺跡-発掘調査速報-0204美通遺跡-発掘調査速報2-0206美通遺跡-発掘調査速報3-0220美通遺跡-発掘調査速報4-0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-0289美通遺跡-D区発掘調査速報-0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-0320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-0349三ノ側遺跡-羽口-0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-0400谷村城-歴史と変遷-0413谷村城-発掘調査速報- |
三ノ側遺跡は、都留市の上谷地区から田原地区にかけて存在する遺跡で、過去に都留市教育委員会によって2回(昭和56年、平成13~14年)の発掘調査が行われています。調査の結果、奈良・平安時代の住居跡や土坑などが発見され、昭和56年のスーパーマーケット建設に伴う発掘調査では、日本最初の流通貨幣とされる和同開珎(わどうかいほう・わどうかいちん)や皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)の一つである富寿神宝(ふじゅしんぽう)といった銭貨が出土しています。 山梨県埋蔵文化財センターでは、県立産業技術短期大学都留分校の建設に伴い、平成23年6月末から発掘調査を行っています。 皇朝十二銭皇朝十二銭は、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて日本で作られた12種類の銭貨のことです。708年(慶雲5年)に現在の埼玉県秩父で純度の高い銅が産出したことから、年号を和銅と改め、皇朝十二銭の1番目にあたる和同開珎が作られたとされています。 和同開珎は、日本で最初に流通した(お金として使われた)貨幣とされています。和同開珎よりも古い銭貨として富本銭(ふほんせん)がありますが、実際にお金として流通したのかははっきりとわかっていません。 当時の日本では、物々交換が主流であり、皇朝十二銭は都やその周辺で流通しただけでした。地方では、都とのつながりを示す権力の象徴(宝物)として扱われたようです。 昭和56年に行われた三ノ側遺跡の調査では、和同開珎と富寿神宝が住居跡の中にたまった土の中から出土しており、土地の神に対する何らかの儀式に使用されたのではないかと考えられています。 写真左:三ノ側遺跡から出土した和同開珎 写真右:三ノ側遺跡から出土した富寿神宝 『都留市史』資料編地史・考古より転載 発掘調査速報今回の調査でも、奈良・平安時代の住居跡や土坑などが発見されています。まだ、住居跡などの形を確認した段階ですが、これから調査を進めていく中で、和同開珎のような貴重な発見があるかもしれません。今後も調査の状況をお知らせしたいと考えています。 地面をきれいに削って住居跡などの形を見つけます 写真の中央で住居跡が見つかりました。どんな形かわかりますか? 白線で囲まれた部分が住居跡です。右上の飛び出した部分にカマドがありそうです。 カマドの部分は土が焼けて赤くなり、調理に使われたと思われる甕(かめ)の破片が出土しています。 現在のところ、奈良・平安時代のものと思われる住居跡や土坑、溝などが発見されています。 |