トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0307一の沢遺跡
ページID:39259更新日:2017年5月22日
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芸術品ともいえる縄文土器〈一の沢遺跡土坑内出土の縄文土器〉 ➀:高さ53cm、最大径60cm➁:高さ56cm、最大径51cmどちらも国の重要文化財に指定されています。 上部には4つの大きな装飾、底はそろばんの玉のよう。 なんとも不思議な形ですが、その大きさや装飾の素晴らしさには圧倒されます。これらは現在の笛吹市境川町に位置する一の沢遺跡を調査した時に発見された縄文土器です。 縄文時代は今からおよそ13,000~2,300年前と1万数百年もの間続いた時代であり、その長い年月の間には様々な形や文様の土器がつくられてきました。ご存知のことと思いますが、これまでの考古学研究によって、土器の文様や形の違いは、それらがつくられた時期や地域によって特徴があることが確認されています。 このふたつの土器の場合は、縄文時代中期(今からおよそ5,000~4,000年前)のうち200年ほど継続されてつくられました。考古学では井戸尻式土器(いどじりしきどき)と呼んでいます。同じような文様、形の土器はそれらが最初に発見された遺跡の名前をとって「○○式土器」とグループに分類され、井戸尻式土器は長野県の井戸尻遺跡で最初に発見されました。山梨、長野県内の遺跡から多く発見されており、つまり「井戸尻式土器」といえば、“縄文時代中期の山梨、長野を中心につくられた土器である”というように時期と地域を示しています。 〈土坑の中から発見されたときの様子〉 縄文土器の多くは食材を煮るための用具と考えられますが、一の沢遺跡の2つのような土器は単なる用具ではなく、芸術品ともいえるほどの素晴らしい造形です。このように土器が大型で装飾が非常に発達するのは縄文時代中期の東北南部、北陸、関東、中部に限定されます。 なぜ、このような大型の装飾土器がつくられるようになったのでしょうか。 これらがつくられた時期は、狩猟、採集といった自然の恵みに頼って生活していたものの、森が豊かで安定した定住生活を営んでいたようです。そこから豊かな縄文文化が発達しその文化の一つとして大型の装飾土器がつくられるようになったと考えられます。地域ごとに受け継がれている土器のお手本といえる型があるようで、土器には縄文時代の人々の精神のあり方が反映され、それぞれに大切な意味が込められているのでしょう。 縄文土器の文様などについては様々な研究がなされ解釈がされていますが、まだまだ謎は多いです。しかし、こうした縄文土器の前に立つとなにか底知れないパワーを感じます。 縄文土器、いえ、縄文時代の文化は本当に奥深いです。 遺跡の概要一の沢遺跡は笛吹川農業水利事業国営幹線管水路敷設工事にともない昭和58年に発掘調査が行われました。調査の結果、縄文時代の住居跡11軒と113基もの土坑が確認され、土器も多数出土しました。 平成11年には176点の土器や石器が国の重要文化財に指定されました。 過去の遺跡トピックスで住居跡と、今回紹介した土器とは別の形の土器を紹介しています。 お知らせ第29回特別展「縄文土器名宝展」開催中山梨県立考古博物館では現在特別展を開催中です。 関東甲信越から東北南部にかけて国の重要文化財に指定されている逸品50点をはじめとする100点の縄文土器を展示しています。もちろん、トピックスで紹介した土器も展示中です。 縄文時代中期を代表する素晴らしい大型装飾土器です。ぜひおいでになり、縄文時代の人々の精神、パワーに触れてみてください。
この第29回特別展「縄文土器名宝展」は終了しました。
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