トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0347天神堂遺跡
ページID:45959更新日:2017年6月16日
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南部町の遺跡0292原間遺跡-土坑とカマド- 0344寺前遺跡-南部町での発掘調査- 0347天神堂遺跡-礫群-
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天神堂遺跡礫群の展示 遺跡の概要天神堂遺跡は、南部町(旧富沢町)の富士川沿いに立地した、今から約2万2千年前の旧石器時代の遺跡です。1970年に発見・調査され、県内では数少ない旧石器時代の集落遺跡として注目されてきました。 天神堂遺跡出土石器(ナイフ形石器) 天神堂遺跡の礫群天神堂遺跡の出土品は、県立考古博物館に展示されていますが、展示室に入ったすぐ左に大きな展示物が置かれており、赤く変色した礫が集中しているのが見てとれます。これは礫群と呼ばれる石蒸し調理に使われた遺構で、遺跡から直接はぎ取ってきたものです。 この施設で何を調理していたのかは、よく分かっていませんが、神奈川県では礫群の中からイノシシの歯が出土した事例が確認されています。もしかしたら、狩りの成功を祝って宴会をおこなった跡なのかもしれません。 また、天神堂遺跡で礫群が作られた2万2千年前は、関東地方や静岡県など日本各地で礫群が多く見つかっています。この時期は氷河期の中でも、特に寒さが厳しかったことが分かっています。そうした厳しい環境を生き抜く中で発達した調理方法だったのかもしれません。 礫群と黒曜石礫群の周りを見ると、小さな黒い石が散っているのが分かります。これは黒曜石ですが、礫群と違って焼けている様子は見られません。おそらく使い終わった礫群は、ゴミ捨て場のような形で利用されていたと考えられます。 礫群内から出土した黒曜石 礫群は、近県では静岡県や関東地方などで多く見つかっていますが、山梨県ではほとんど確認されていません。天神堂遺跡のほかに、同じ南部町に1遺跡、北杜市に1遺跡と、わずか3遺跡でしか見つかっていない貴重な遺構です。 県内での確認例が少ないことから推測すると、天神堂遺跡の人々は、遙か遠くからやってきた人々だったのかもしれません。
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