トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0379_宮城県多賀城市山王遺跡・市川橋遺跡
ページID:55574更新日:2017年6月13日
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県外遺跡 |
「復興道路」である三陸沿岸道路の4車線化とインターチェンジ建設のために山王遺跡・市川橋遺跡の調査が昨年度から行われています。 両遺跡は弥生時代には水田が広がり、古墳時代には集落があってその周囲に水田が広がること、古代には陸奥国府多賀城跡の城外に碁盤目状の街並みが形成されることが過去の調査でわかっています。 奈良・平安時代(8世紀~10世紀)の調査成果掘立柱建物跡 道路跡 材木塀跡 井戸跡・竪穴住居跡・溝・土坑などが発見されました。 奈良時代には道路はなく、溝・材木塀に囲まれた長方形の区画の中に竪穴住居跡や掘立柱建物跡がみられます。 平安時代になると約100m四方の碁盤目状の街区が徐々に整備されていき、その中に掘立柱建物跡・竪穴住居跡などが配置されるようになります。
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