トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0416甲府城跡_本丸
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県指定史跡甲府城跡一覧
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江戸時代に書かれた『楽只堂年録』(らくしどうねんろく)には甲府城の正確な絵図が残されています。山梨県埋蔵文化財センターでは甲府城跡の発掘調査を行う際、この絵図を参考資料として活用しています。写真1はそうした成果をもとに平成14年に復元された鉄門(くろがねもん)です。 写真1鉄門鉄門を入ると、東西60m、南北50mの平らな場所が広がっています。これが本丸(ほんまる)です。東側には天守台(てんしゅだい)という、一段高い場所があります。 通常は常時開門していますので、この写真は供用開始前の貴重な1枚です。 写真2本丸から見た天守台
写真3石垣の中は・・・
写真4金箔が貼られた瓦
甲府城が作られた1590年ころ、豊臣秀吉のライバルである徳川家康は関東地方を支配する大名でした。秀吉は、甲斐の国が家康と対決する場合の最前線になると考え、浅野長政に甲府城の建設を命じたものと発掘調査の結果から考えられます。 甲府城は1990年から史跡として整備するために発掘調査と石垣の修理、鉄門(くろがねもん)など一部の建物の復元を行ってきました。今回の遺跡トピックスは山梨県埋蔵文化財センターが刊行した調査報告書のうち、第155集、第156集を参考にしました。 甲府城を紹介いたします今年度は甲府城の普及活動の一環として「甲府城を紹介いたします」を企画しました。鉄門下に職員が待機し、校外学習で甲府城を訪れた多くの中学生に対して説明を行うことができました。今後もぜひ当センターの各種企画を活用していただきたいと思います。写真は本丸から見た鉄門です。 遺跡の基本データ 所在地:甲府市丸の内一丁目 時代:中世末~近世 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
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