トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0417身洗沢遺跡
ページID:66158更新日:2017年5月17日
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笛吹市の遺跡
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所在地:笛吹市八代町 時代:弥生時代後期、古墳時代、奈良時代、平安時代 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
身洗沢遺跡とは?身洗沢遺跡(みあらいざわいせき)は笛吹市八代町の標高約270mに位置し、中央自動車道の笛吹スマートインターチェンジ建設に先だって発掘調査がおこなわれてます。 予備調査を平成26年7月~9月に実施し、中央自動車道をはさんで北側の県道313号沿いにあるA区とB区を平成26年12月~平成27年1月まで発掘調査し、南側のC区を平成27年5月~9月まで発掘調査をおこなう予定です。
身洗沢遺跡の環境と歴史身洗沢遺跡は浅川扇状地の低地である扇端部から沖積地に位置しており、周辺には平安時代の曲物容器や踏鋤といった木製の日用品や農具、建物の部材として使用された柱などが出土した石橋条里制遺構や、弥生時代~平安時代の神の木遺跡など多くの遺跡があります。身洗沢遺跡より標高の高い扇央部から扇端部には古墳時代の狐塚古墳、団栗塚古墳、古墳時代~奈良・平安時代の集落跡の五里原遺跡など数多くの遺跡が分布しています。 この周辺の遺跡の特徴として、甲府盆地南東部に位置する扇状地から地下水が流れ、低地には水を多く含んだ軟弱な土層となります。その水を多く含む土層に遺物包含層がある遺跡を「低湿地遺跡(ていしっちいせき)」と呼び、身洗沢遺跡もこの低湿地遺跡に分類されます。 身洗沢遺跡は数回の発掘調査がおこなわれ、昭和55年12月~昭和56年3月に当時は侭ノ下遺跡として発掘調査されたのを始めに、平成元年6月~11月まで県道石橋・石和線の建設に伴い発掘調査がおこなわれ、弥生時代後期~古墳時代前期の地層から「木製の又くわ」が出土しており、平成8年11月7日に県の有形文化財にしてされました。 普通の土壌の遺跡ならば、植物や動物の骨などの有機質は地下動物や微生物に分解され、有機質のものは残存しにくいのですが、低湿地の土壌だと飽和状態にある地下水のために酸素が不足し、分解する生物の活動が抑制され、有機質のものが残存する可能性があり、これが低湿地遺跡の特徴と言えます。身洗沢遺跡や石橋条里制遺構は、普通の遺跡では消失してしまう有機質の遺物が低湿地遺跡では出土する良い事例です。
以前に掲載された関連トピックスもご覧下さい。 No.0081身洗沢遺跡-田んぼと木製品 No.0230身洗沢遺跡-プラント・オパール No.0339身洗沢遺跡-農具の今と昔 No.0356石橋条里制遺構-古代の土地区画整理
発掘調査の成果A区(調査面積381平方メートル)からは弥生時代後期の土器の個体資料が出土し、近くからは焼土範囲が見つかりました。また時代を判別する遺物が一緒に見つからなかったため、時代は不詳ですが1m間隔に並んだ木柱が3基確認されました。 予備調査(調査面積510平方メートル)とB区(調査面積151平方メートル)からは溝状遺構が5条見つかり、そのうち1条は覆土中に平安時代の土師器、須恵器、灰釉陶器が大量に含まれており、溝状遺構の底部近くからは古墳時代の土器片がわずかに確認されており、溝状遺構の帰属する時代は古墳時代まで遡る可能性があります。
写真左:低湿地なので木製品も消失せずに出土。写真右:木柱列の埋設状況を記録。
写真左:弥生時代と古墳時代の土器が集中して出土。写真右:現在、接合中の弥生時代後期の小型土器。
平成26年度発掘調査で、周知されていた身洗沢遺跡の範囲が広がることがわかりました。そして山梨県では旧石器時代と弥生時代の遺跡は他の時代と比べると多くはありませんが、身洗沢遺跡は弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代を含む複合遺跡であり、低湿地遺跡でもあるので普通の遺跡では消失してしまう古い時代の木製品などの有機物が残存する可能性のある遺跡です。 等間隔で出土した木柱列
木柱列の周りの土を断ち割ってみると掘り込みは無く、木柱の下部を見ると平らであることがわかりました。建物を建てる時に 柱は地面を掘り込み、その柱穴の中に柱を立てて埋めることで建物を安定させる方法は縄文時代から用いられており、古代まで時代が下ると柱穴の中に平らな石を置き、その上に柱をのせる礎石があります。身洗沢遺跡の木柱列には掘り込みラインが確認できませんでした。建物ほど規模が大きくなく、杭や柵だとすると先端を尖らせれば地面を掘らずに地面から打ち付けていた方法が想定されますが、木柱列の扇端部は平らであったので打ちつけるには不向きと思われます。身洗沢遺跡の水位の高い環境を考えると、土壌のぬかるみで柱が沈まないように地面に掘り込みもせず、先端を尖らせなかったと思われます。 木柱が使われていた時代を示す共伴遺物がなかったこと、柱だけで他の上物に関連する木製品も見つからなかったことや、木柱列の規模も調査区外に続いている可能性があり、木柱列が使われた時代や性格は不明です。 現在、身洗沢遺跡のC区の発掘調査中です。調査が終了したら、また成果を報告したいと思います。
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