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ページID:68919更新日:2017年5月9日
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笛吹市の遺跡
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遺跡トピックスNo.0427身洗沢遺跡~弥生時代後期の集落跡~身洗沢遺跡は笛吹市八代町に所在しており、浅川扇状地の末端に位置しています。この周辺は地下水位が高く、何度も水害に見舞われた地域です。この遺跡は平成元年、26・27年に発掘調査を行っていますが、その中で洪水のさいに流れてきたと思われる砂の層が複数みつかっています。 平成27年の調査では縄文時代前期~後期、弥生時代後期、古墳時代中期~後期、奈良時代、平安時代の遺構・遺物がみつかりました。今回は弥生時代後期(今から約1,800年前)の遺構に焦点をあてたいと思います。
【写真1】調査区から西側を望む(中央道奥が長野・甲府方面)
調査地点は、微高地状の地形にあたり、南北方向の谷で東西をはさまれています。その微高地を横断する形で3条の溝が見つかり、中から大量の土器が出土しました。土器の大半はカケラでしたが、中には完全な形に近いものもありました。おそらくは上流の遺跡から、洪水などで流されてきたものと考えられます。しかし、割れ口が摩耗していないことから、流されてきた場所はごく近くであり、付近に集落があったと考えられます。
「集落」というと住居のみを想像してしまいますが、お墓や水田など、それ以外のスペースもセットになっています。今回出土した土器の中には、お墓から出土するような大きな壺もありました。また、溝の中からは木製農具(クワ)も見つかっています。このため、付近にお墓や水田があったと考えられます。
所在地:笛吹市八代町南2750他 時代:縄文・弥生・古墳・奈良・平安
溝の長さと機能溝は、微高地を横断するようにみつかっており、3条が並行して掘られています。このことから、この3条は同時期のものと考えています(南から(1)14号溝、(2)8号溝、(3)22号溝)。長さは(1)14号溝が約15m、(2)8号溝が約30m、(3)22号溝が約40mと差があります。
【写真2】検出された3条の溝(上が南方面)(左) 【写真3】(2)8号溝完掘状況(右)
この溝が何に使われていたのかは、よくわかりません。ただし、こうした一直線の細い溝というのは、自然にはつくられにくいため、人工的につくられたものと考えられます。 一般的に溝をつくる目的は大きく二つあり、一つは排水や給水などの水を流す目的、もう一つは土地を区画する目的があります。 溝を並行して3条配置したのは、上流(南)から流れてくる水を下流(北)にこさせないような排水の目的があったと考えられます。地下水位が高い、この周辺一帯の環境に対応して溝がつくられたのでしょう。 また、(3)22号溝のみ微高地全体にわたってつくられており、こちらは土地区画の目的があった可能性があります。より下流(北)に大事な空間が存在し、そこを水から守ろうとしていたのでしょうか。 いずれにせよ、集落の一番外側にあたる場所まで、しっかりと整備して、住みやすい環境を整えていたことがわかります。
【写真4】(2)8号溝から出土した壺(つぼ) 【写真6】(2)8号溝から出土した木製農具(クワ)(左上が柄を差し込む穴。右下の刃部は失われている) 【写真7】(2)8号溝から出土した木製農具(クワ)(下の刃部は失われている)
3条の溝からみえる風景これまでに山梨県内で実施されてきた発掘調査において、弥生時代の集落全体が明らかになった例はあまり多くありません。今回、集落の一番外側にあたる場所を調査できたことで、さまざまな土地利用のあり方を明らかにすることができました。
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