トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0467甲府城下町遺跡(旧柳町一丁目)?水場遺構?
ページID:80857更新日:2017年7月27日
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甲府城下町の遺跡
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遺跡の概要甲府城下町遺跡は、江戸時代の都市遺跡です。城下町は、今から約420年前に築城された甲府城を中心として成立し、武家屋敷や町人地を含みます。 平成27年5・6月に都市計画道路「古府中環状浅原橋線」改築事業に伴って、「NTT甲府支店西」交差点北東隅において発掘調査を行いました。ここは江戸時代、甲府城の南東の町人地、柳町一丁目と呼ばれていたところです。東西の通りである八日町通り・甲州街道と南北の通りである柳町通りが交差するこのあたりは城下町の中で最も賑わいをみせた場所でした。 この地点では、江戸時代初期~幕末にかけての3時期の生活面、また多くの遺物を確認することができました。特に江戸時代前期~中期の生活面では、水場遺構の他、木組みの水路、木組遺構、土坑等が見つかりました。 水場遺構(上が北、北から区画03、02、01) 今回のトピックスでは、水場遺構についてみてみたいと思います。 遺跡名:甲府城下町遺跡 所在地:甲府市中央二丁目12-19他 時代:近世 報告書:『甲府城下町遺跡(旧柳町一丁目地点)』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第308集2016.3 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
〇これまでの甲府城下町_旧柳町一丁目地点トピックス:No.436_町人地の土地造成 水場遺構水場遺構図 調査区は、東西に通る国道411号線(城東通り)に沿って東西に長く、面積は約33.7m2です。その調査区中程に石と板や杭で構築された水溜状の遺構である水場遺構が見つかりました。 水場遺構の全体の大きさは東西3m、南北2.2m程です。南北方向に並んだ3つの区画があり、その区画の間には材木の堰があります。また、東側は南北に直線的に配列された石列で区画され、石の下には沈下を防止する役割と思われる2枚の板が敷かれていました。西側は、50~80cmの巨石を配置して鍵の手状に区画されていました。このような遺構は、甲府城下町において類例はまだありません。 水場遺構の一番北の区画(区画03)
区画03(南より) 一番北の区画(区画03)の時期は、17世紀前葉頃です。規模は、東西1.4m、南北0.8m、深さ0.6m程です。配石で区画され、区画内には横板と杭で設けられた土留め構造があります。 区画03遺物出土状況 この区画からは、黒漆の地に赤漆で鶴丸の文様が描かれた漆椀、多量の木製の箸といった食膳具等が多く出土しました。 水場遺構の中の区画(区画02)上から区画02、01 中の区画(区画02)の時期は、北の区画(03)同時期の17世紀前葉頃です。規模は、東西0.5m、南北0.9m、深さ0.2m程です。南の区画01の矢板に対し、横板によって区切られています。北の区画03、南の区画01のような水溜め構造ではなく、区画01から03へ(北から南へ、またはその逆)へ導水する目的の区画と考えられます。 この区画からは、瀬戸・美濃産の志野皿(しのざら)、漆椀等が出土しました。 水場遺構の南の区画(区画01)南の区画(区画01)の時期は、17世紀末頃です。規模は、東西1.5m、南北0.5m以上、深さ0.15m程です。矢板を打ち込んで区画しています。区画の底には、厚さ2cm程の板が2枚敷かれ、区画02まで伸びている状況です。 区画01_横櫛、硯出土状況 区画内には、炭化物を含む黒色の粘質土が充填され、その中からは、肥前の猪口(ちょこ)や159点という大量の木製の横櫛、硯8点、将棋の駒、碁石といった日用品や遊戯具等が出土しました。
区画01出土_横櫛 区画02・03のそれぞれの区画の遺物は、すべて一括資料です。水場遺構の構築、機能した年代は、17世紀前葉頃と考えられます。 また区画01から出土した陶磁器は、激しい熱を受けていることから、大火等にあった道具を、水場遺構を廃絶した後に、区画01の部分を掘り起こして、投棄したものであると思われます。 水場遺構の用途水場遺構はどのような用途で使われたのでしょうか。調査では水が区画に入る方向や出る方向(導水の方向)はわかりませんでしたが、次の用途が類推されました。
どちらにしてもこの水場遺構からは、甲府城城下の人々は、水を操り、工夫をして使用していたようすが見て取れます。
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