甲府城下町遺跡~明治時代の甲府城下町~
甲府城下町遺跡の概要
甲府城下町遺跡は中世末期~江戸時代にかけて、甲府城が築かれると共に整備されていった城下町です。一の堀に囲まれた範囲が甲府城であり、その外側の二の堀に囲まれた「武家地」、さらに外側の三の堀に囲まれた「町人地」が甲府城下町にあたります。
甲府城下町遺跡は何度も調査を行っていますが、今回は2017年に県庁の公用車等駐車場整備事業に伴う発掘調査の成果を取り上げます。ここは、城下町の中でも武家地にあたり、18世紀以降の絵図では「御米蔵」「米蔵」などと書かれている場所です。調査の結果、江戸時代の集水枡が確認されており、以前のトピックスでも紹介しました(遺跡トピックスNo.479)。
現在、調査区の隣には「たこ公園」の愛称で知られる「たちばな児童公園」があり、公園の下を流れる濁川は、かつての「二の堀」です。
〔写真〕公用車駐車場整備の際の発掘調査状況
甲府城下町遺跡
◆所在地 :甲府市丸の内二丁目17-6
◆時代 :近代(明治時代)
◆調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
発掘された遺物
今回の調査では石垣や溝などの多くの遺構が確認された一方で、遺物はあまり多く見つかりませんでした。見つかった遺物は近代以降のものが大半でありましたが、その中でも特徴のある2点の遺物を紹介します。
取り上げる遺物は、2点とも近代の茶碗です。かく乱と呼ばれる、近代以降に開発によって乱された地層から見つかりました。見つかった際は伏せられた状態だったのですが、取り上げてみると、内側に「獄」の字が大きく書かれていました。なんとも、まがまがしい茶碗ですが、これは明治時代の甲府を考える上で貴重な資料なのです。
〔写真〕「獄」と書かれた茶碗の出土状況(上)と取り上げ状況(下)
現在では、甲府駅南口の平和通りの西側は、市街地化して店舗や住宅が密集していますが、明治8年~45年まで甲府監獄所が設置されていました。調査区も監獄所の敷地内になっており、この茶碗はそこで使用されていたものと考えられます。
この茶碗は、受刑者が使用したものなのでしょうか。
刑務所でくさい飯を食べ終わった後に見るのは「獄」の文字・・・・・・、
状況を想像すると受刑者の心情がおもんばかれますね。
同じ調査で、監獄所時代のものと考えられる溝の中からも、「獄」と書かれた茶碗が見つかっています。また、甲府市教育委員会が監獄所の敷地内を発掘調査した際には、「監」と書かれた茶碗が多く出土しました。
〔写真〕「獄」と書かれた茶碗の出土状況(上)と監獄所のものと考えられる溝(下)
おわりに
現在では市街地化した場所も、過去には様々な歴史が眠っています。近くを通った際は、そんなことを考えながら、過去の歴史に思いを馳せてみて下さい。
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