トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.520 湯村山古墳群(甲府市)~道をそれると、そこは古墳であった~
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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湯村山古墳群とは甲府市北西部にある緑が丘スポーツ公園のほど近く、湯村山には6世紀から7世紀(古墳時代後期から終末期)にかけて造られた古墳があり、湯村山古墳群(遺跡トピックスNo.0504)と呼ばれています。湯村山の周辺は、万寿森古墳(遺跡トピックスNo.0437、遺跡トピックスNo.0438)や加牟那塚古墳(遺跡トピックスNo.0383)、大平1号墳・2号墳(遺跡トピックスNo.516)など甲府盆地の古墳時代後期・終末期を代表するような古墳が造られた地域であります。 湯村山古墳群は、湯村山(標高446m)の南および西斜面に造られた古墳群であり大平1・2号墳のある西支群と湯村山1号墳~6号墳の六つの古墳があるといわれる東支群にわかれます。 また、湯村山の山頂には大永3年(1523)に武田信虎によって築かれた湯村山城があり、現在でも曲輪や土塁の跡、石を円形に組んでつくった井戸などが残っています。 現在は、湯村山城のある山頂までの道が武田の杜として遊歩道をつくるなど整備が行われ、ハイキングコースになっています。 遊歩道を歩いて湯村山1号墳へ!緑が丘スポーツ公園を出発し、湯村山の遊歩道を上って行くと湯村山1号墳【写真1】にまず到着します。1号墳は石を積んで造った積石塚と呼ばれる古墳です。詳しくは遺跡トピックスNo.0504で紹介していますのでご覧下さい。 【写真1】湯村山1号墳 湯村山の遊歩道をそれるとそこには・・・1号墳を見学して少し歩いて行くと、遊歩道の脇の雑木林に人が通ったような痕跡、いわゆる「けもの道」があります。「山火事注意」の看板が目印です【写真2】。 【写真2】いざ!けもの道へ けもの道をズンズン進んでいきましょう。 5分ほど歩いていくとそこには・・・何やら不自然な石が。 そう!これが古墳です!【写真3】 「わかりにくい~」というお声が聞こえてきそうですが、土や落ち葉で埋もれた横穴式石室の一部がひょっこり顔を出しています(はい、ひょっこり墳!)。古墳の位置的におそらく湯村山2号墳だと思われます。かつておこなわれた古墳の分布調査の成果を見ますと、古墳は半分壊れた状態にあると書かれています(田代・萩原1984、甲府市1989)。 【写真3】ひょっり顔出す古墳 ひょっこり墳の2号墳から40mほど、けもの道を上り進んでいくと、今度は比較的大きな古墳が目に入ります【写真4・5】。 【写真4】湯村山3号墳(石室入り口側) 【写真5】横から見た湯村山3号墳 古墳は完全な形というわけではありませんが、石室の状態は比較的良く残っています!石の積み方をみますと、石を切ったり割ったりするような加工をせずに自然な状態の石を使用している様子が分かります【写真6】。なんとも無骨でかっこいいです!
【写真6】横穴式石室の中の様子 湯村山には大きな石がゴロゴロしており、近くにある石を使って古墳をつくっていたと思われます。 遊歩道に戻り、湯村山の山頂へ向かうさて、けもの道を歩いてきましたが、来た道をくだって遊歩道に戻り、湯村山の山頂へ向かいましょう。15分くらい歩いていくと分かれ道にでます。その一角にあるのが湯村山6号墳です【写真7】。 写真だとわかりにくいですが、現地にいくと土の高まりがありますね(現地でもわかりにくい)。おそらく横穴式石室があったと考えられますが、壊れてしまったと思われます・・・。 【写真7】湯村山6号墳 湯村山古墳群の地図 ててっ!やまなし古墳・お宝マップ山梨県埋蔵文化財センターでは、『ててっ!やまなし古墳お宝マップ』シリーズを刊行しています。古墳や遺跡について紹介しており、詳細なルートも掲載しているので、古墳めぐりに最適なマップになっています!! これまでに、甲州市から市川三郷町の古墳などを紹介した甲府盆地南部編と山梨市から甲府市の東側地域までを紹介した甲府盆地北東部編の2冊が刊行されています。 『ててっ!やまなし古墳・お宝マップー甲府盆地南部編ー』 ![]() 『ててっ!やまなし古墳・お宝マップ2ー甲府盆地北東部編ー』 『ててっ!やまなし古墳・お宝マップ3ー甲府盆地北西部編ー』 「甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園周辺ルート」『ててっ!やまなし古墳・お宝マップー甲府盆地南部編ー』に掲載 参考文献 田代孝・萩原三雄1984「甲府市域の古墳分布と二、三の課題」『甲府市史研究』創刊号 甲府市市史編さん委員会1989「湯村山古墳群」『甲府市史』史料編第一巻原始古代中世 甲府市役所 坂本美夫1998「湯村山古墳群」『山梨県史』資料編1 原始・古代1 |