沿革
- 明治32年(1899)
県内有志の醵金により大日本農会山梨支部内に「私設山梨農事試験場」が設立され、甲府市百石町に圃場を置いた。
- 明治33年(1900)
県は、大日本農会山梨支部より「私設山梨農事試験場」の施設等の寄付を受け、「山梨県農事試験場」を創立。事務所を甲府市錦町(現甲府市中央)に置き、圃場は甲府市新青沼町と同日向町に設けた。
- 明治40年(1907)
分散していた事務所・圃場を統合のうえ、甲府市伊勢町に移転した。
- 大正2年(1913)
緊縮財政により「県農事試験場」が廃止される。
- 大正4年(1915)
農家など各方面からの強い要望により「県農事試験場」を再興した。
- 大正5年(1916)
「葡萄害虫フィロキセラ試験地」を西山梨郡里垣村西山(現甲府市里垣)に設置した。
- 昭和8年(1933)
「農事試験場」を中巨摩郡貢川村下河原(現甲府市貢川)に移転。また、「岳麓分場」を南都留郡瑞穂村(現富士吉田市下吉田)に新設した。
- 昭和11年(1936)
「岳麓分場」を南都留郡福地村(現富士吉田市上吉田)に移転した。
- 昭和13年(1938)
「園芸分場」を東山梨郡上万力村(現山梨市万力)に新設した。
- 昭和14年(1939)
「葡萄害虫フィロキセラ試験地」を廃止した。
- 昭和17年(1942)
「八ヶ岳分場」を北巨摩郡日野春村長坂(現長坂町)に新設した。
- 昭和28年(1953)
機構改革により「農事試験場」を「農業試験場」に、「園芸分場」を「果樹分場」にそれぞれ改称した。
- 昭和41年(1966)
「果樹分場」が「果樹試験場」として分離独立した。
- 昭和43年(1968)
農業試験場敷地内に「農業技術研究所」を新設し、業務の一部を移管した。
- 昭和47年(1972)
「農業試験場」本場及び「農業技術研究所」が、北巨摩郡双葉町下今井に新築・移転。
- 昭和48年(1973)
「茶試験圃場」を南巨摩郡南部町本郷に設置した。
- 昭和59年(1984)
「農業試験場」、「農業技術研究所」、「肥飼料検査所」を統合して「総合農業試験場」となる。
- 昭和63年(1988)
「生物工学部」を北巨摩郡双葉町菖蒲沢に新設。また「八ヶ岳分場」、「岳麓分場」を統合し、「高冷地分場」、「高冷地分場岳麓試験地」にそれぞれ改称した。
- 平成9年(1997)
「花き振興部(花き振興促進センター)」を北巨摩郡明野村浅尾に新設し、「生物工学部」に「蚕業試験場」を統合した。
- 平成10年(1998)
「高冷地分場八ヶ岳試験地」を北巨摩郡高根町東井出に新設。また「高冷地分場岳麓試験地」の整備が終了し、富士吉田合同庁舎内に事務所を移転した。
- 平成12年(2000)
農業関係試験研究機関創立100周年記念式典を挙行した。
- 平成14年(2002)
「花き振興部」を山梨県農業振興公社に移管した。
- 平成18年(2006)
「総合農業試験場」、「農業改良普及センター」、「病害虫防除所」を統合して、「総合農業技術センター」となる。
「企画研修部」を廃止し、「専門指導スタッフ」を設置した。
「生物工学部」「花き振興部」「高冷地分場」を再編成し、「高冷地野菜・花き振興センター」に改組した。
「本所」の庁舎建て替えを行った。