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あけぼの医療福祉センターによる福島整肢療護園への児童1名の引き取りについて、今後の参考になればと思い、写真(写り込んでいる日付、時刻は不正確です)も含めて簡単にまとめました。なお、福島整肢療護園の復旧に伴い、児童は7月5日に同園に戻りました。
2011年3月21日 | 準備 |
2011年3月22日 | 午前0時過ぎ出発(都内の混雑を避けるため) |
2011年3月22日 | 夕方センター着 |
距離:片道約350キロ、所要時間8時間を予定
人員:4名(医師1名、看護師1名、運転手1名、福祉司1名)
ルート:特別許可をもらい高速道路を走り、常磐自動車道いわき中央ICから約7キロ
使用自動車:通園バス(満タンにて約800キロの走行可能とのこと)
あけぼの医療福祉センター発→一般道→甲府南IC=中央道=八王子IC→ 3月22日AM0時10分~AM2時03分 |
首都高速道路→三郷JC=常磐道=いわき中央IC→一般道→福島整肢療護園着(救護品の引き渡し、児童についての引き継ぎ等) AM3時18分~AM8時00分 |
福島整肢療護園発→一般道→いわき中央IC=常磐道=三郷JC→首都高速道路→八王子IC= AM9時30分~PM2時40分 |
中央道=甲府南IC→一般道→中北保健福祉事務所(中北保健所)→あけぼの医療福祉センター着 PM3時42分~PM5時00分 |
全走行距離740km
常磐道に入って、友部サービスエリアで休憩するが、以後の道路は徐々に震災の跡が見られるようになり、日立市、北茨城市と進むにつれ、道路に段差があったり、周辺の集落の屋根が青色シートで緊急処置がなされているのが散見された。いわき市内に入ると、見た目では家屋への大きな被害の様子はわからず、一部屋根をシートが覆ってある家を見かけたくらいであったが、道路はあちこちで盛り上がったり、亀裂が入ったりしており、地震の強さを知らされた。また、スーパーやコンビニは全く開いてなく、車が延々と並んでいる先をたどるとガソリンスタンドだったりで平常ではないことが伺えた。戸外を歩いている人は多くなかったが、みなマスクは着用していた。福島整肢療護園近くの民家のブロック塀が、道路側に崩れ落ちていることもあった。福島整肢療護園の建物にも大きな被害は外観上では伺えなかったが、教会の壁に長くひび割れが入っていたのが目に付いた。
山梨到着後、中北保健所での1分間の放射線カウント数についての検査では、職員は100~200cpmと通常域内であり、児童の数値は職員の2~3倍程度あったが、「特に問題となる数値(10万cpm以上が要注意)ではないので、気にする必要はない。しかし、気になるようであれば更衣と入浴をすれば良い」との指導であった。
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準備の様子 | 荷物の積み込み | 出発 |
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途中の状況 | 福島整肢療護園到着 |
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引き継ぎの様子 | 福島整肢療護園外観 | 放射線チェック | 到着 |