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ページID:28479更新日:2016年2月1日
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冨士御室浅間神社とは?冨士御室浅間神社には、本宮と里宮のふたつの神社が存在します。本宮は富士山二合目に鎮座していますが、その創建は文武天皇3年(699)藤原朝臣義忠が勧請し、その後大同2年(807)に坂上田村麻呂によって社殿が造営されたとされ、富士山中で一番古い神社であるといわれています。現在残る本殿と拝殿は、慶長17年(1612)に造られたものです。 里宮はというと、お祭りをするのに富士山二合目では遠いので、河口湖のほとりにお宮を造ったもので、天徳2年(958)創建といわれています。 発掘調査でわかったこと。。。富士山二合目、標高約1,700mの場所にある本宮の調査を行いました。吉田口登山道を一合目から登っていき、鳥居の跡を過ぎてしばらくすると建物が見えてきます。これが冨士御室浅間神社の拝殿です。 こちらは、三合目から下ってきて拝殿が見えてきたところです
昭和49年、それまで風雨を堪え忍んできた本殿は、永久保存のために里宮へ移されました。かつて本殿があった場所付近には現在フェンスが張られ、中には小さな祠(ほこら)が祀られています。 今年度は神社の‘現境内地’と‘現境内地の裏側’という2地区について調査を行いました。 現境内地の裏山には何があったんだろう?例えば、第1トレンチからは他に比べて多くの古銭が見つかっています。この場所には人々がお金をまくような、信仰施設があった可能性もあります。ただし建物の跡は見つかっていないので、あったとすれば祠(ほこら)などが置かれていたのかも知れません。 第1トレンチの調査風景 古銭発見!
また第3トレンチからは、建物の基礎となる石(礎石)が並んでいるのが見つかりました。ここからは他に比べて釘も多く見つかっていることから、この場所には確実に建物があったと考えられます。 礎石が見つかったテラス奥は拝殿
現境内地から見つかったもの本殿跡地付近の調査をしました
もともと本殿があった辺りに設置されたフェンスに接した場所からは、建物を設置するためにつき固められた整地層が見つかりました。この層は土をサンドイッチ状に積み重ねて頑丈に固めてあり、ちょっとの力では突き崩せないほどでした。このしっかりした地盤の上に建物が建てられていたんですね。 点線よりも下がつき固められた層です 上の緑色のフェンスは、現在の地表面です
調査では約200点あまりの遺物が見つかりました。 見つかった磁器 土器も見つかりました 炭化した木が多く見つかる場所もありました
古銭や陶磁器類の出方を見てみると、現境内地の裏側からは中世のもの、現境内地からは近世のものが多く見つかる傾向がありました。現境内地の裏側は、現在山林となっており、何か施設などがあった痕跡はうかがえませんが、発掘調査の結果、この山林からも遺物が見つかっていることから、社殿が整備された慶長年間(江戸時代のはじめ頃)以前には、裏手の山林も何らかの土地利用がされていたようです。今回の調査で、信仰拠点としての神社の範囲が周辺の山林にまで及んでいたことがはっきりとしました。 こんな山林の中からも古銭がたくさんみつかっています
今回の調査は、冨士御室浅間神社総代会のご理解をいただいて、多くの成果を得ることができました。ご協力をありがとうございました。 |