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ページID:4432更新日:2016年2月5日
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富士河口湖町の遺跡0029滝沢遺跡-平安時代住居・土錘-0034滝沢遺跡-墨書土器-0056滝沢遺跡-桃の種-0334滝沢遺跡-叩き甕-0386滝沢遺跡-発掘調査速報-0395滝沢遺跡-転用硯-0095塚越遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0177塚越遺跡-網代-0121富士山二合目行者堂跡-石列-0195炭焼遺跡-火打ち金-0248富士山と信仰の道0282冨士御室浅間神社里宮-片山社-0304富士山二合目行者堂跡-灯明皿-0327冨士御室浅間神社二合目本宮境内地遺跡-石碑が語る信仰の道- |
滝沢遺跡〔たきざわいせき〕遺跡の詳細は、こちらをご覧ください。 平安時代の竪穴住居跡から出土した桃の種[写真]左:平安時代の竪穴住居跡から出土した桃の種 右:現在山梨県で栽培されている桃の種(日川白鳳) 平安時代の竪穴住居跡からは土器や土錘(遺跡トピックスNo.0029参照)にまじって、桃の種が出土しました。上の写真を見ていただくと、出土した桃の種は、現在山梨県で多く栽培されている桃の種と比べると約半分ほどの大きさであることがわかります。 桃は中国原産とされ、日本には遅くとも縄文時代前期には伝来されていたと知られています。山梨県で最も古いものは弥生時代前期のものがあり、それ以降、特に平安時代の遺跡から多く出土しています。 桃は主に食料・薬として利用されたほか、『万葉集』の中にも桃の花を題材にした歌があることから、観賞の対象でもあったと考えられています。また中国においては古来から邪気を祓う霊力が宿るとされ、日本においても『古事記』の中にイザナギのミコトが黄泉の国から逃げるとき、桃の実を投げつけ、黄泉醜女(ヨモツシコメ)という悪魔を退散させたという説話があり、中国の思想を受けて祭祀や信仰の対象となっていたことがうかがえます。 滝沢遺跡の竪穴住居跡から出土した桃の種はカマドの中や周辺から出土しており、カマドの祭祀(遺跡トピックスNo.0034参照)とともに、桃を使ってカマドを清めていたことも考えられます。 |