トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0057丘の公園第2遺跡
ページID:4585更新日:2017年6月16日
ここから本文です。
北杜市の遺跡
|
〔写真〕清里の森の中で発掘された旧石器時代の丘の公園第2遺跡
カラマツの森の地下1.3mから現れた旧石器時代のムラ〔写真〕地表から1.3mほどの深さに旧石器時代の生活のあとが埋もれていました。 JR小海線の清里駅から南西へ約1km、丘の公園ゴルフ場の中に遺跡があります。ゴルフ場造成のため、カラマツの森を切り開いて発掘が行われました。掘り始めは、真っ黒の土が1mもの厚さでありましたが、やがて土が黄色になりました。細かなチリや火山灰が降り積もったローム層で、旧石器時代の寒い気候のなかでできた土だと言われています。ローム層を掘り進めて30cmほどで、2万年前頃の生活跡が掘り出されました。 当時使われた石の道具である石器(せっき)や、石器を作った時に出た石のかけらが600点ほど出土しました。また、河原から拾ってきた石を焼いて石蒸し料理(いしむしりょうり)をした跡である礫群(れきぐん)が30か所も見つかりました。多くの人々・家族が繰り返しこの場所で生活していたことがわかります。 狩りのための槍に付けた石器:ナイフ形石器〔写真〕槍先に付けたとされる先端の尖ったナイフ形石器 発掘された石器にはいくつかの種類がありました。まず、ナイフ形石器があります。動物を狩るための槍の先に付けていたとされる石器で、もっとも多く出土しました。集団での狩猟を中心とした生活だったことがわかります。 ナイフ石器には色とりどりのきれいな石が使われていました。黒色の自然ガラスである黒曜石(こくようせき)、茶色や赤色の碧玉(へきぎょく)、青緑色で白いすじが入る珪質頁岩(けいしつけつがん)などです。いずれも、清里にはない石です。では、どこからとってきたのでしょうか。 黒曜石は八ヶ岳の西側に産地がありますが、中には伊豆半島の天城山から持ち込まれた黒曜石がありました。珪質頁岩は奥秩父山地で産出します。白く風化したトロトロ石と呼ばれる石がみられますが碧玉とともに、茨城県北部が産地である可能性があります。 遺跡の西から、東から、南からとあらゆる方向から数10kmから約200kmもの遠い距離を運ばれた石がみられます。このことから、広い範囲を狩りをしながら移動する複数の集団(家族など)が、清里の地に集結して生活している様子が復原できます。 骨や木を削って加工する道具:彫器〔写真左〕碧玉(へきぎょく)で作られた彫器(ちょうき) 〔写真右〕石器の横面に作り出された彫器(ちょうき)の刃
ナイフ形石器の他に、骨や木の表面を削って形を整える、彫刻刀のような道具である彫器(ちょうき)があります。槍の柄や針などの道具を作るために使われたのでしょう。この遺跡では、ほとんどが碧玉(へきぎょく)でつくられています。 毛皮を作るための道具:掻器〔写真〕皮なめしの道具とされる掻器(そうき) 〔写真〕掻器(そうき)の刃の部分 掻器(そうき)は、皮なめしに使われたと言われます。動物の皮は、剥いだ後に毛皮の裏側に残る肉片を削ぎ落とし、草などをこすりつけたり歯でかんだりして柔らかくしないと使えません。その作業を皮なめしといいますが、掻器(そうき)は肉片を削ぎ落とす時に使われます。毛皮は、着物や家の材料として使われたと考えられます。 |