トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNO.0131甲府城下町遺跡(北口県有地)
ページID:4394更新日:2017年3月14日
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甲府城下町の遺跡 |
甲府城下町遺跡は近世の甲府城を中心として成立した武家屋敷や町人地を含む遺跡です。2005・2006年度の2ヶ年にわたりJR甲府駅北口にある県有地を発掘調査しました。 中世のこの地域は戦国期武田氏館城下町の南の端で、多くの寺院があった場所でした。そして、江戸時代以降、幕末期までは甲府城「山手御門」北側の山手小路・森下小路・橘小路に囲まれた位置にある武家屋敷地があった所でした。江戸時代、1740年~1724年に柳沢吉保・吉里親子が甲斐を拝領していた時の様子を伝えている「甲府御城絵図」をみると柳沢吉保の家臣である御寄合「根津文左衛門」らが居住していたことが分かります。また、幕末にあたる嘉永2年(1849年)以降の「懐宝甲府絵図」では「中島・嶌田・カモミヤ」などの甲府勤番士の屋敷地や空閑地が区画されていました。
所在地:甲府市北口二丁目 時代:中世・近世・近代 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 写真JR甲府駅北口県有地完掘状況(部分) 大量に出土した遺物 写真溝から見つかった大量の遺物 写真池の跡の調査風景 これは、江戸時代に武家屋敷より見つかった土地を区画していた溝跡と池の跡です。ここからは18世紀中ごろから19世紀中ごろまでを中心とした大量の出土品が見つかっています。その種類も磁器では、酒杯・中碗・小碗・皿・神酒徳利、陶器は、灯明皿・中皿・碗・小皿・擂鉢・花生などのほか、おはじきなども見つかっています。これらの中には割れていない完形品もありました。 写真池跡から出土した磁器・陶器類 写真池跡から出土したおはじき 大量に捨てられた生活用品などは、今回のような武家屋敷跡の発掘調査をしていると、井戸や溝、ゴミ穴などから発見されることがよくあります。これらは火事や屋敷の移転で一括して捨てられたり、生活の中で少しずつ捨てられたものでしょう。 今回の場合、18世紀中ごろから19世紀中ごろの出土品が多い点から1868年の明治維新後に勤番士達が拝領地を返還した時に一括して捨てられたものと考えられます。 |