トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.132 長峰砦跡(ながみねとりであと)
ページID:4652更新日:2017年5月8日
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長峰砦跡(ながみねとりであと)-鉄砲玉-所在地:上野原市大椚 時代:縄文時代・中世・近世 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第168集2000年3月 写真長峰砦跡遠景
長峰砦跡は、戦国時代(約450年前)の山城です。この砦は、甲斐国と相模国の境にあり、国境警備の役割をしていたと考えられています。その長峰砦跡へ中央道が増築されるため、平成7年~平成10年にかけて発掘調査されました。どのような遺構が発見されているのでしょうか? 写真堀切跡調査状況 写真堀切跡検出状況
発掘調査では、堀切跡(地面を掘って切り通した堀)が発見されました。堀は、土を掘っただけのものであり、石垣などは見られませんでした。戦国時代までのお城の一般的な特徴は土で造られており、江戸時代の城のように石垣や天守閣はありませんでした。他に曲輪(くるわ)とよばれる尾根を平らに削ったテラスもありました。 堀切跡尾根を切って防ぎょする施設。 写真堀切跡から出土した鉄砲玉 写真鉄砲玉
この砦から戦国時代ならではの遺物が出土しています。左上の写真の青い丸い物は、鉄砲玉です。他にもう一点出土しています。大きさは直径約1.2cmでした。みつかった場所は、堀切跡です。この鉄砲玉の成分分析をした結果、主成分は銅と錫の合金の青銅でした。そのうえ、鉛の比率が高く、当時、流通していた銭と近いものであることが分かりました。戦国大名武田氏の朱印状の中で、鉄砲玉をつくるため悪銭を納めるように命じている古文書があります。このことから、武田氏は鉛の鉄砲玉だけでなく、青銅製の鉄砲玉を使っていたことが分かります。砦跡から出土した鉄砲玉も武田氏の命令でつくれたものかもしれません。 |