トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0072南大浜遺跡
ページID:4322更新日:2017年5月17日
ここから本文です。
上野原市の遺跡0003談合坂遺跡-埋甕-0072南大浜遺跡-弥生時代再葬墓-0098南大浜遺跡-陥し穴-0132長峰砦跡-鉄砲玉-0233関山遺跡-縄文時代中期の竪穴住居跡-0243長峰砦跡-石鏃-0256談合坂遺跡-縄文時代早期~前期の竪穴住居跡-0267尾咲原遺跡他-復元された縄文時代の家- |
南大浜遺跡(みなみおおはまいせき)写真南大浜遺跡全景
南大浜遺跡は、上野原市鶴川字日野道地内、旧甲州街道鶴川宿とは仲間川を挟んで対岸の台地上に位置しています。中央自動車道富士吉田線の改築工事のため、平成9(1997)年度に発掘調査を行いました。 調査の結果、縄文時代早期の動物を捕まえるための落とし穴や土坑、弥生時代の再葬墓、遺物包含層、平安時代の土坑や溝状遺構が検出されています。
所在地:上野原市鶴川字日野道 時代:縄文時代、弥生時代、平安時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第166集2000(平成12)年刊 山梨県埋蔵文化財センター 南大浜遺跡で出土した弥生時代の壺写真弥生時代の壺
写真は南大浜遺跡から発見された弥生時代(今から約2,200年前)の壷の状況です。高さ30cm、幅30cmの大きさの壺が逆さにして穴に埋められています。壷の中に溜まっていた土を分析したところ、人の遺体が入っていた可能性高いことがわかりました。 東日本の弥生時代遺跡では、一度埋葬した遺体の骨を掘り出し、壷や甕などの土器に入れて再び埋葬する再葬墓が知られており、南大浜遺跡の壷も再葬墓であると考えられます。 再葬墓では土器の口を上にして埋めることが多いのですが、南大浜遺跡では、母親のお腹の中にいた時と同じように土器を逆さにして埋めることによって、ふたたびこの世に蘇ってくることを祈ったのかもしれません。 |