トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > No.0256談合坂(だんごうざか)遺跡〔上野原市〕
ページID:33382更新日:2017年6月8日
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上野原市の遺跡0003談合坂遺跡-埋甕-
0072南大浜遺跡-弥生時代再葬墓-
0098南大浜遺跡-陥し穴-
0132長峰砦跡-鉄砲玉-
0233関山遺跡-縄文時代中期の竪穴住居跡-
0243長峰砦跡-石鏃-
0256談合坂遺跡-縄文時代早期~前期の竪穴住居跡-
0267尾咲原遺跡他-復元された縄文時代の家- |
山梨県東部地区で格好のハイキングコースとなっている扇山(おうぎやま)の東斜面には、かつての談合坂サービスエリアとともに談合坂遺跡がありました。 扇山(おうぎやま)の斜面から発見された縄文時代の集落跡現在、中央自動車道の談合坂サービスエリア上り線となっているこの遺跡は、平成7(1995)年12月から平成8(1996)年1月末にかけて発掘調査が行われ、縄文時代早期〔約9,000~6,000年前〕~中期〔約5,000~4,000年前〕の住居跡12軒が発見されました(ほとんどの住居跡は、谷側で削られているため半月型で確認されました)。上野原市内で確認されている縄文時代の遺跡は約150ヵ所あまりありますが、山梨県東部の縄文時代早期~前期の集落の様子を知る上で貴重な遺跡となりました。 縄文時代の様々な炉の跡~地床炉(じしょうろ)・埋甕炉(まいようろ)~「炉」は、煮炊きのほか暖房や灯りをとるための施設だったと考えられています。
地床炉:住居のほぼ中央部の地面を浅く皿状に掘り込んだ炉。(写真は、赤く焼けた土(焼土)を取り除いたもの。縄文時代前期中頃〔約6,000年前〕の6号住居跡〔規模は推定で長径4メートル、短径3.5メートル〕。) 埋甕炉:住居のほぼ中央部の地面を掘って土器を埋めた炉。(写真は縄文時代前期中頃〔約6,000年前〕の1号住居跡〔規模は推定で長径・短径ともに約4メートル〕。) 屋外の調理場の跡
集石(しゅうせき)遺構:加熱した石を使い、食材を蒸し焼きや石焼きにした調理場の跡。10センチほどの約100個の石が、1メートル四方にわたって30センチの深さまで敷き詰められています。(写真は4つ発見された集石遺構のうちの3号集石。時期を特定する土器などは出土しませんでしたが、縄文時代のものと思われます。) 関連リンク:遺跡トピックスNo.0003談合坂遺跡ー埋甕ー 所在地:山梨県上野原市 時代:縄文時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第151集『矢坪遺跡・談合坂遺跡』1998(平成10)年3月刊 調査機関:山梨県教育委員会 |