トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0267-復元された縄文時代の家-
ページID:34539更新日:2017年5月8日
ここから本文です。
甲斐市の遺跡0218金の尾遺跡-土偶-0228金の尾遺跡-紡錘車-0273金の尾遺跡-4号住居-0398金の尾遺跡-ガラス玉-0245唐松遺跡-炉のない家-0363唐松遺跡-炉と土偶-0253竜王2号墳-馬具- |
今回の住居跡シリーズは、山梨県内で復元された縄文時代の家を紹介します。 この図柄は、「埋蔵文化財解説カード」から1部分複写したものです。 (平成17年度埋蔵文化財学習活用事業により山梨県埋蔵文化財センターが作成したものです) 今年度の住居跡シリーズは以下のとおりです。 No.0233「関山遺跡」-縄文時代中期の竪穴住居跡- No.0239「甲ッ原遺跡」-縄文時代前期初頭の住居跡と土器- No.0245「唐松遺跡」-唐松遺跡で見つかった「炉」のない家- No.0250「村前東A遺跡」-133号住居跡- No.0262「桂野遺跡」-縄文時代の住居跡- 都留市「尾咲原遺跡(おざきはらいせき)」に復元された縄文時代の家この写真は、都留市の尾咲原遺跡で発掘調査された住居跡を復元した家です。 尾咲原遺跡は、都留市の旭小学校を中心として広がっています。この遺跡は、朝日川と大平川に挟まれた標高500mの河岸段丘の上につくられました。 この遺跡では、昭和35年の特別教室建設に伴う発掘調査の際に、縄文時代の家などが発見されました。その後、昭和57年、58年のプールなどの増築に伴い、縄文時代中期から晩期(約4500~約3000年前)にかけての村の跡が発掘されました。この家の大きさは、長いところで約7m、短いところでは5.9mあります。家は柄鏡の形をしていて、床には石が敷かれていました。 調査の終了後には、旭小学校の裏にこの家が復元されました。尾咲原遺跡は、小学校の敷地内を中心に当時の村が広がっていたようです。 所在地:都留市朝日馬場 時代:復元された家は、縄文時代中期末頃(今から約4500年前)の敷石住居です。 考古博物館の「古代の広場」に復元された縄文時代の家山梨県立考古博物館の駐車場近くに復元されたこの円錐形の家は、中央自動車道建設事業に先立ち甲斐市(旧敷島町)の「金の尾遺跡(かねのおいせき)」で発掘調査された第13号住居跡をモデルにしたものです。 この家のモデルは、縄文時代中期(約4500年前)につくられました。家の中に入ると、床面のほぼ中央に石で囲った炉がつくられていて、当時の家の雰囲気を味わうことができます。この家の大きさは、長いところで4.55m、短いところで3.65mの長円形です。壁の高さは東で45cm、西で40cm、南で38cm北で45cm、やや外傾した壁面になっています。炉は、東西で47cm、南北で54cmです。 また、考古博物館の中にも、別の家の屋内展示があります。 遺跡所在地:甲斐市大下条 遺跡名:金の尾遺跡 報告書名:山梨県埋蔵文化財センター調査報告第25集「金の尾遺跡無名墳(きつね塚)」 大月市「宮谷白山遺跡(みやたにはくさんいせき)」に復元された縄文時代の家この遺跡は、標高370m~400mの場所にあります。昭和47年(1972)にこの遺跡の発掘調査が行われました。その後、調査された住居跡がこの場所に復元され、昭和49年(1974)にこの遺跡は大月市の指定史跡となりました。復元されたこの家は、当時山梨県内で唯一のもので、縄文時代中期後半(今から約4000年前)に位置づけられています。 この家は、壁溝から一辺約6mの方形をしていますが、入り口部が張り出した形態のものです。入り口部にあたる箇所には、2つの埋甕がありました。炉は奥壁側に設置され、石で囲まれた長方形状のものです。 所在地:大月市富浜町宮谷 時代:縄文時代中期後半(入り口部が張り出した方形の家) 北杜市「金生遺跡(きんせいいせき)」(国史跡)に復元された縄文時代の家金生遺跡は北杜市大泉町にあり、ほ場整備事業に伴い昭和55年(1980)に発掘調査が行われました。調査の対象面積は、10,000平方メートルで、遺跡の標高は760~780mです。 この復元された3棟の家の番号は、写真の左から13号、11号、10号です。 さて、この遺跡についてですが、今から3500~2600年前の縄文時代後期・晩期を中心とした村の跡です。大規模な配石遺構と住居跡群から構成された村で、調査された家の軒数は41軒です。そのうち後期・晩期の家は38軒あります。この金生遺跡は、昭和58年2月7日に国史跡に指定され、たくさんの方に活用されています。 13号は、一辺3.5mの四角い家の跡です。南の隅から長さ1m、幅90cmの張り出しをもった家です。炉は家のほぼ中央につくられ、石で囲まれた直径約1mの円形です。家が建てられた時期は、縄文時代の晩期前半です。 11号は、一辺5.5mの四角い家です。炉は、直径140cmの石で囲ったもので、家の中央付近につくられています。縄文時代晩期前半です。 10号は、石の並び方から五角形ないし六角形の家と思われます。その規模は、五角形の場合は6m×5m程度、六角形の場合は5.6m程度と考えられています。炉は、直径110×100cmで家のほぼ中央につくられています。縄文時代晩期前半です。 所在地:北杜市大泉町谷戸 遺跡名:金生遺跡 報告書名:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第41集「金生遺跡2.(縄文時代編)」
|