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ページID:31686更新日:2015年12月14日
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北杜市の遺跡
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甲ッ原遺跡(かぶつっぱら・いせき)について甲ッ原遺跡平成元年度調査区全景
甲ッ原遺跡は、八ヶ岳の南麓、北杜市大泉町の南端、甲川と油川に挟まれた尾根上に位置し、 付近の標高は約800mとなります。 当センターの遺跡トピックスでも、すでに何度も紹介しているように、縄文時代前期後半から中期 (今から約5,000~4,000年前)の大規模な集落の跡として、広く知られています。 甲ッ原遺跡で発掘された縄文時代前期初頭の住居跡について前期初頭の住居跡
甲ッ原遺跡は数次にわたる調査が行われ、縄文時代前期後葉~中期を中心とする住居跡が 100軒以上見つかっており、その時期の大規模な集落遺跡ですが、今回ご紹介する縄文時代 前期初頭の住居跡(今から約7,000年前)については、1989(平成元)年に調査された1軒しか 確認されていません。 写真がその住居跡です。山梨県内で見つかる縄文時代の住居跡というと、円形や楕円形が 一般的ですが、この住居跡は四角形をしているのが、最大の特徴です。壁際にみられる穴は 柱の穴と思われます。また、住居跡の中央やや右側に見えるデコボコしたところが炉の跡です。 縄文時代前期初頭の住居跡から出土した土器について
前期初頭の住居跡から出土した土器 静岡方面の土器の断面 山梨方面の土器の断面 左上の写真が、縄文時代前期初頭の住居跡から出土した土器です。写真上の灰白色をし、器面に細い線が縦横に施され、ギザギザの模様が施された粘土ひもを施した土器片は、その特徴から、静岡方面から持ち運ばれた土器です。真下の黒褐色で、縄文が施された土器は、その特徴から山梨周辺で作られた土器であることがわかります。これら、異なる地域で作られた土器が同じ住居跡から出土したことは、今から約7000年前の八ヶ岳南麓に住んでいた縄文人が、静岡方面の縄文人と交流していたことを示す貴重な資料となるものです。静岡方面で作られた土器の断面が2~3mmと非常にうすいのに対し、山梨で作られた土器の断面は5~10mmと厚く、土器の作り方にも地域性がよく表れています。 関連リンク:遺跡トピックスNo.0002,0169,0212(甲ッ原遺跡)
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