トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0262桂野(かつらの)遺跡〔笛吹市〕
ページID:34236更新日:2016年2月8日
ここから本文です。
笛吹市の遺跡
|
桂野遺跡第2次調査全景(南から) 桂野遺跡について桂野遺跡は標高約550mを測る笛吹川の支流、金川の左岸に形成された桂野台地の上に位置します。県内を代表する縄文時代の遺跡として多くの遺物や遺構が確認されていることから、甲府盆地南東部における拠点的な遺跡として位置づけられます。 桂野遺跡で発掘された縄文時代前期末の住居跡第11号住居跡
1997年(平成9年)に行われた桂野遺跡第2次調査では縄文時代前期の終わり頃の住居跡(第11号住居跡)が1軒発掘されました。長軸5.2m、短軸4.36mを測る楕円形を呈し、壁の周りには柱の穴が巡ります。炉は住居跡の中央よりやや南側で確認され、床面が火を受けて赤く焼けた地床炉(じしょうろ)というものでした。なお、炉の手前に直径約1.5mを測る円形の穴がありますが、時期が異なることから本住居跡に伴う遺構ではありません。 第11号住居跡土器出土状況
住居跡から出土した土器からわかる当時の交流の様子上の写真をご覧ください。ちょうど炉の北側から2個体の土器が出土しました。1の土器は、その形や文様から関西地方を中心に分布する土器であることがわかりました。このことは、今から約5000年前、山梨に住んでいた縄文人が関西方面の縄文人と交流していたことを示す貴重な資料といえます。 1の土器(関西を中心に分布する土器)2の土器(山梨や長野を中心に分布する土器)
関連リンク:遺跡No.0019,0100,0111(桂野遺跡) 桂野遺跡の調査概要桂野遺跡は1970年代から現在に至るまで、甲斐丘陵考古学研究会、旧御坂町教育委員会などが調査を行っています。埋蔵文化財センターでは、国道137号(上黒駒バイパス)建設に先立って1996年度~1998年度にかけて3次にわたる発掘調査が実施されました。 所在地:笛吹市御坂町上黒駒字桂野 時代:縄文時代前~中期・弥生時代 調査期間:桂野遺跡第2次調査1997年9月1日~12月25日 報告書:山梨県教育委員会2000『桂野遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第172集
|