トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0263中谷遺跡?集石土坑?
ページID:34305更新日:2017年5月18日
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都留市の遺跡
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1号集石土坑を発見したところ ここでご紹介するものは、集石(しゅうせき)と呼ばれるものです。周辺の遺跡からもたくさん集石が発見されていますが、中谷遺跡の集石の特徴は何でしょうか? 中谷遺跡の概要所在地都留市小形山瀬木 時代縄文時代中期末から後期の集落跡 報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第116集1996年刊行 調査機関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 過去のトピックス記事トピックスNo.0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡- トピックスNo.0190中谷遺跡-三角とう形土製品- トピックスNo.0258中谷遺跡-注口土器と蓋-
中谷遺跡の集石1号集積土坑 1号集石土坑の断面 1号集石土坑の炭化材 集石とは・・・・集石は、縄文時代早期・前期(約5,000~6,000年前)によく見られるもので、蒸焼きや石焼きなどの調理を行った跡と言われています。集石には、いくつかのパターンがありますが、中谷遺跡の集石は、穴を掘った後、その中に表面が平らな石を敷き詰めて、その上に焼けた石を並べたものがほとんどでした。穴を掘っていることから、同じ集石でも集石土坑(しゅうせきどこう)と呼んでいます。遺跡からは15基の集石が発見されていて、底面(ていめん)に敷き詰められた平石の上などに沢山の炭化材をみることができました。この炭化材で、年代測定をしたところ、縄文時代前期~中期(約4,600~5,100年前)という結果がでました。 トピックスNo.0118玉川金山遺跡-集石- トピックスNo.0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑- 7・8・10号集石土坑(写真左=発見したところ写真右=掘り終わったところ) 集石土坑の特徴都留市内の遺跡では、中谷遺跡・中溝遺跡・九鬼2.遺跡などから集石が発見され、最近では玉川金山遺跡・美通遺跡でも確認されています。集石は、調理のために使われると考えられていますが、中谷遺跡で15基確認できた集石は、調査区内に4~5基ずつ近接して確認され、そのそれぞれも、少しずつ時期が違っていました。近くに作られていても、同じ時期に作られたものではないようです。これは、何回かに分けてこの地を訪れた人たちが、前に訪れた人の痕跡(こんせき)をみて、近くに集石を作ったように思えます。実際、集石土坑の周りには、同じ時期の家などは無く、土器などもとても少ないものでした。このような状態から、この場所は、動物などを追って移動する人たちが、短い期間、滞在した時の痕跡なのかもしれませんね。 |