トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0264亀甲塚古墳
ページID:34418更新日:2017年6月19日
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笛吹市の遺跡
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亀甲塚古墳(かめのこうづかこふん)亀甲塚古墳は、笛吹市御坂町成田に所在しています。古墳の名称は「きっこうづか」とされることもあります。1948(昭和23)年に埋葬施設の発掘調査が行われ、副葬品としてここで紹介する管玉(くだたま)と盤龍鏡(ばんりゅうきょう)などが出土しています(トピックスNo.0219)。 古代の技術が語るもの「管玉」は、孔(あな)を貫通させた円筒形の玉のことで、孔に紐(ひも)を通してつなげてネックレスとして、勾玉とともに弥生時代から古墳時代にかけて多用されたアクセサリーです。弥生時代のものは直径が細く、古墳時代の後半には太いものへと変化していきます。
亀甲塚古墳出土の碧玉製管玉
亀甲塚古墳出土の管玉は53点が確認されており、長さは1センチ以下のものが11点、1~1.5センチのものが40点、1.5センチ以上のものが2点とばらつきがありますが、直径はいずれも3~4ミリと細く、これらは弥生時代の玉作り技術が残る管玉といえます。 当時、このように石を細く加工して孔をあける(穿孔:「せんこう」といいます)こと自体驚きですが、この穿孔方法には二通りあり、一般的には石の両側からあけて途中で貫通させる「両側(両面)穿孔」から、片側からあけてもう片側へ貫通させる「片側(片面)穿孔」へと変わっていきます。 亀甲塚古墳の管玉については、2002(平成14)年に撮影されたX線写真から、53点のうち、両端の孔が太く、中央が細い両側穿孔のものが33点、片側が太くもう片側が細い片側穿孔のものが20点あることが確認できました。 なお、東日本を代表する前期の大型前方後円墳、甲斐銚子塚古墳(4世紀後半:全長169メートル)の石室から出土した管玉は、すべて緑色凝灰岩製で、片側穿孔です。 それでは、この穿孔方法から、何がわかるのでしょうか。
亀甲塚古墳出土管玉のX線写真(撮影:帝京大学山梨文化財研究所)
亀甲塚古墳は、現状では古墳時代中期の5世紀前半頃に造られた古墳と考えられています。それは、現在は所在不明の刀や鏃(やじり)などの他の副葬品との組合せや甲府盆地の古墳の分布を検討した結果として導き出されたものです。 しかし、技術的には新しい片側穿孔とともに弥生時代の系譜を引く両側穿孔の両方が見られる細い管玉は、甲府盆地出土の管玉の中でも古く、武器などの副葬品の詳細が不明である以上、盤龍鏡との組合せからも5世紀前半の古墳とすることには疑問があります。
つまり、細い管玉と穿孔方法から考えると、古墳時代前期(遅くとも4世紀代)にさかのぼる古墳である可能性が極めて大きいといえるのです。最終的には、発掘調査により墳丘の形態や埋葬施設の構造を明らかにすることで、古墳の築造年代を確定することになりますが、甲府盆地にはこのような古墳がまだ多くあるのが現状です。
ここで紹介した管玉は、現在考古博物館で開催中の特別展「発掘された女性の系譜-女性・子ども・家族の造形-」で展示されています(11月28日まで)。特別展終了後は、盤龍鏡とともに常設展示で見ることができます。 特別展は、女性を取り上げたユニークな展示内容となっています。縄文時代の土偶をはじめ、人面付きの弥生土器、古墳でのマツリを彷彿とさせる埴輪群などなど、普段なかなか見ることができない各地の貴重な出土品を、この機会にぜひご覧ください。
参考文献
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