トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.255榎田遺跡出土の装飾器台
ページID:33397更新日:2017年5月19日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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【遺跡の概要】榎田遺跡は、遺跡トピックスNo.140、205でも取り上げましたが、片山や湯村山の山裾を東南流する荒川左岸の扇状地上、千塚四つ角の北側約600m程の地点に位置しています。 山梨県住宅供給公社の宅地造成により平成4年度に発掘調査が実施され、弥生時代後期、古墳時代前期末・後期、奈良~平安時代の住居跡28軒の他、4基の古墳時代前期末(約1,700年前)の方形周溝墓が確認され、日常生活や祭祀に関する土器などたくさん見つかっています。 所在地:甲府市千塚5丁目9番地内 器台について器台は、お墓でのマツリや、儀式などに「捧げる」という役割の一部に用いられた特別な土器で、この上に甕や壷を載せて使います。 古墳時代に入ると、列島各地で地域独自の土器が広範囲に動く様子がみられます。主に東海系、北陸系、畿内系土器等と称され、山梨県内の遺跡からもその特徴的な土器の姿をみることができます。「装飾器台」は弥生時代終末期~古墳時代前期の北陸西部で盛行し、日本各地へ影響を与えました。 榎田遺跡の器台について写真の装飾器台ですが、いくつか特徴があります。 写真で見てもわかると思いますが、土器の外面が何となく赤っぽく見えませんか? これは、土器に酸化鉄「ベンガラ」を塗っているためで、その使用例は古く、縄文時代にさかのぼります。 「赤」は特別な意味もつとされ、太陽や血、生命などを象徴し、その色に特別な力があるとされていました。ちなみに、トピックスNo.140で紹介した壺形土器も外面が赤く塗られています。 ○土器の中央部には、三角形の透孔(すかしあな)が10箇所に▲▼に配置され、脚部には円形の小さな孔が2個ずつ2箇所見られます。透孔は、たんに装飾的効果をあげるためとか言われていますが、詳しい目的は不明です。他に四角のものや、大きさも数もバラエティーにとんでます。この土器は、口縁部(土器上部)の特徴から、北陸系土器の影響を受けた装飾器台であることがわかりました。当時、甲府盆地でも東海系や畿内系の土器と一緒に北陸系の文化が入ってきたことがわかります。 今回、紹介した装飾器台はお墓の溝等から出土したものではありませんが、その形や、朱が施されてることから、祭祀や儀式に壺や甕を載せて使われたものと思われます。 現在では、お寺や家の仏壇のご宝前のお供え物を三宝(三方さんぽう)や供物台に捧げます。 その姿、形はかわりましたが、役割は同じなのです。そういえば、何となく似てませんか? 榎田遺跡では、日常生活や祭祀や儀式で使用された土器が数多く出土しています。 これらは、山梨県立考古博物館の常設展示(古墳時代)のコーナーで見ることができます。是非ご覧ください。
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