トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0222米倉山B遺跡
ページID:28706更新日:2016年2月25日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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米倉山B遺跡とは?米倉山B遺跡は、上の平遺跡や銚子塚古墳などが存在する曽根丘陵の東山台地の南西に位置しています。遺跡のある米倉山一帯は、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡がたくさん眠っている場所として、古くから知られていました。米倉山B遺跡は、米倉山の南側の斜面に位置する遺跡で、平成3年から8年にかけて行われた発掘調査によって、弥生時代後期から古墳時代前期の住居跡や古墳時代前期の方形周溝墓、古墳時代後期の円墳、江戸時代の墓などが発掘されました。
古代中国のお金ー貨泉(かせん)周りの一部が欠けていますが、直径2.2~2.3cm、厚さ0.1mmほどの大きさで、重さは約2.3gとなっています。中央には、一辺の長さが0.8cmの四角い孔(あな)があいています。残念ながら、摩耗(まもう、こすれて減ること。)が激しく、「貨泉」という字は、ここに載せた写真や拓本では確認することが困難ですが、実測図から孔の向かって右側に「貨」、同じく左側に「泉」という字が確認できます。「貨」も「泉」も、「銭」という意味を持つ漢字です。 〈写真〉 〈拓本〉〈実測図〉 「貨泉」は、自然の浅い埋没谷で発見され、その上層からは弥生時代終末期から古墳時代初頭の土器が見つかっています。後の時代になって紛(まぎ)れ込んだという可能性などが考えにくいことから、これらの土器の示す少なくとも弥生時代終末期から古墳時代初頭の時期には、この地にあったと考えることができます。 「貨泉」が作られた時代「貨泉」は、古代の中国の王朝の1つである「新(しん)」という王朝の時に作られました。「新」王朝は、西暦8~23年までのわずか15年間しか存在しなかった王朝で、日本列島の時代区分では弥生時代の中期にあたり、卑弥呼の時代よりも200年以上も前の時代になります。「新」王朝を建てた王莽(おうもう)によって、「貨泉」は作られました。 <長崎県壱岐市(いきし)原の辻(はるのつじ)遺跡の「貨泉」> 米倉山B遺跡の「貨泉」もこのような姿だったと考えられます。 |