トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0223八幡神社遺跡
ページID:28788更新日:2017年6月16日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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昨年発掘調査が行われ、トピックスNo.152・162で発掘調査速報を紹介しました。また、No.191・207では整理調査速報も紹介しました。 そもそもの始まりは、発掘調査の時に大量の黒曜石や縄文土器の破片に混じって、須恵器の破片が集中して出土したことでした。 (写真)須恵器(すえき)の甕(かめ)の破片が集中して出土しました。 「?」と頭に浮かび、上からの掘り込みがあるかもしれないと思って、土をよく観察したのですが、土の違いはわかりませんでした。 次の兆候は、金環(きんかん)と呼ばれている耳飾りが一つ出土したことです。当初、泥が付いていて青銅製であることはわかりましたが、昨年12月にクリーニングを行ったところ、管の内側に金箔が付着していることが判明しました。外側の金箔は剥がれてしまっていたようです。なお直径は約1.7cmです。 (写真)出土した金環(きんかん) 整理作業では、割れた破片をパズルのように接合します。壺の口縁と胴部が同一個体であることは、その胎土でわかるのですが、どうしても接合できません。それは、平らな所が底だと思いこんでいたことが原因でした。平らな部分は胴部の裏面だったのです。これは提瓶(さげべまたはていへい)という液体を携行するための器で、6世紀ごろのものです。 (写真)左:須恵器の提瓶(さげべまたはていへい)裏面右:同側面 金環も提瓶も古墳から出土することが多い遺物です。古墳時代の遺物は、このほかにも土師器(はじき)の坏(つき)、高坏(たかつき)、甕(かめ)、壺(つぼ)が出土しています。そこで、遺物の分布をみてみました。 (図)古墳時代の遺物分布(●は須恵器、○は土師器) このように金環をほぼ中心にして、須恵器や土師器が約10mの範囲に集中することがわかりました。北側半分は攪乱を受けているために現存しませんでした。古墳時代の遺物が巡っているのは、おそらく周溝がここにあったためでしょう。縄文土器などと同じ深さから出土したことからも確認できます。 以上のことから、新たな古墳(無名墳)が発見されたのです。金環が出土した地点には主体部があったと思われます。 周辺にもいくつか古墳が知られています。山八幡古墳が八幡神社の境内にあります。また、八幡神社遺跡から北東へ約150mの地点には前方後円墳であった可能性のあるうなり塚古墳があります。さらに約150m北の藤川沿いにはコツ塚古墳がありました。このように細かく見ていくと、現在は宅地化が進み見ることができませんが、多くの古墳が存在し、群集墳を形成していたのかもしれません。 (図)八幡神社遺跡周辺の古墳位置
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