トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0383加牟那塚古墳
ページID:56522更新日:2017年5月15日
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甲府市の遺跡
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今回は、甲府市千塚にある「加牟那塚古墳」を紹介いたします。 平成16年10月現在の状況南から撮影 昭和45年に南東方向からの撮影 盆地の北辺に築かれた古墳で、現在までこの地域では唯一埴輪が確認された古墳です。 加牟那塚古墳の説明県指定史跡「加牟那塚古墳(かんなづかこふん)」加牟那塚古墳は、昭和43年(1968)2月8日に県史跡に指定されました。翌44年(1969)には、本墳の保存対策として、古墳の墳丘に巡らされた石垣の補修工事が行われました。 その補修工事の際に、石垣を取り外したところ、石垣の内側から円筒埴輪片(えんとうはにわへん)や形象(けいしょう)埴輪片などが発見されたといわれています。 また、昭和45年(1970)12月には、本古墳の石室入口部の天井石などの修理に先行して、墳丘及び石室の測量調査が実施されました。 加牟那塚古墳のデータ呼び名:『山梨県史資料編1.』1998(p532)の標記では「かむなづかこふん」ですが、一般的に「かんなづかこふん」と呼ばれています。 場所:甲府市北西部の方山と湯村山との山裾を南東に流れる荒川の左岸で、甲府市千塚3丁目7番地に所在しています。 標高:295mです。 墳丘の規模:墳丘の測量図から直径40~45mと思われます。 墳丘の高さ:推定で7mです。 周溝の有無:本古墳の周辺は宅地化が進み、調査を実施することは困難な状況となっているため周溝(しゅうこう)の存在は不明です。 墳丘:2段に築かれていて、円筒埴輪(えんとうはにわ)、太刀(たち)、盾(たて)、馬形埴輪、武人(ぶじん)埴輪などが立てられていたことが、山梨県史(資料編1.1998)に記載されています。また、山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第226集の中に、埴輪片の実測図が掲載されています。 石室の形:左片袖型(ひだりかたそでがた)横穴式石室(よこあなしきせきしつ)と呼ばれています。 左片袖型とは、横穴式石室の入口から奥壁に向かって入っていくと、玄室(げんしつ)と呼ばれている部屋の入口部があります。この入口部の左側が鍵状(かぎじょう)に広がっている箇所を袖と呼んでいます。 左右両方に袖がある場合には両袖型と呼ばれ、右だけ袖がある場合には右片袖型と呼ばれています。また、袖がない場合は、無袖型と呼ばれています。 石室の規模:全長16.75m、玄室長9.38m、羨道(せんどう)長7.37m、奥壁幅3.3m、袖部玄室側の幅2.64m、袖部羨道側の幅2.2m、羨門(せんもん)幅1.75mあます。 また、奥壁の高さは約3m、石室の中央で3.3m、羨道の入り口で1.9mの高があります。 加牟那塚古墳のこの石室は、県内では第2位の規模です。ちなみに第1位は、御坂町(現在、笛吹市)の姥塚古墳です。 時代:古墳時代6世紀後半 古墳内部の様子。中の人と比較すると、とても大きな石を使っているのがよくわかります。 石室の大きさもさることながら、この石室をつくっている石材もまた大きなものが使用されています。上の図を見てください。奥壁の石は約3mの高さがあって、このような大きな石材は、いったいどこから運んできたのでしょうか。近くにある湯村山からでしょうか。 不思議ですね、考えると夜も眠れません。
報告書:『加牟那塚古墳』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第226集2005.3 |