トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0382六ッ長遺跡
ページID:56392更新日:2016年10月31日
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笛吹市の遺跡
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六ツ長遺跡は、御坂山塊から甲府盆地へ向かって流れる金川左岸の河岸段丘上にあり、標高は約558mを測ります。対岸の金川右岸には、縄文時代中期の「黒駒土偶」が発見されたことで有名な御坂中丸遺跡があります。また、金川沿いには古代東海道の分岐路である甲斐路があったと考えられ、六ツ長遺跡の近くを通っていたと思われます。 写真1遺跡遠景(南から) ◆所在地笛吹市御坂町上黒駒地内 ◇時代縄文時代・古墳時代・平安時代 ◆調査期間2009年6月11日~7月16日 ◇報告書山梨県教育委員会2011『六ツ長遺跡』 山梨県埋蔵文化財センター調査報告第269集 溝状遺構今回の調査では2条の溝状を呈する遺構が調査区のほぼ中央で、南北方向に検出されました。このうち、東側で検出された1号溝状遺構は、調査区南側で立ち上がっており、先端部の底面で10~100cmほどの礫がまとまって検出されています。六ツ長遺跡が河岸段丘の崖下に立地し、今でも遺跡周辺には湧水がみられることを考慮すると、湧水に関わる遺構の可能性があります。 遺物は古墳時代前期(今から約1.700年前)に比定される土器片が出土していることから、この時代の遺構と考えられます。
写真21号溝状遺構 写真31号溝状遺構出土遺物 2号溝状遺構は、1号溝状遺構の西側で検出されました。1号溝状遺構と同じく調査区南側で立ち上がっていますが、溝状遺構の覆土には10~50cmほどの円礫や砂が堆積していることから、湧水を利用した河の跡であった可能性があります。溝状遺構からは縄文時代や平安時代の土器片が出土していますが、詳しい時期はよくわかりません。 写真42号溝状遺構 写真52号溝状遺構出土遺物 まとめ六ツ長遺跡の立地する金川左岸の河岸段丘は、今まで遺跡の調査事例が少なく不明な点が多い地域でした。しかし、今回の調査で縄文、古墳、平安時代の遺物や、湧水に関係する溝状遺構が検出されたことは、六ツ長遺跡周辺に同様の遺跡が存在する可能性を示しており、この地域の当時の様子を知るうえで意義深いものとなりました。
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