トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス No.0061富士見一丁目遺跡
ページID:4403更新日:2016年2月8日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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シリーズ「山梨で発掘された昔の田んぼ」その2甲府市富士見一丁目遺跡弥生時代末から古墳時代初頭の田んぼってどんなかな (今から1700年前の遺跡です) 富士見一丁目遺跡所在地:甲府市富士見一丁目1-1県立中央病院敷地内 時代:弥生時代末から古墳時代初頭 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第167集2000年3月刊行 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 1.とっても小さな区画の田んぼでの調査風景 2.とっても小さな区画の田んぼ ここに何ができたの?県立中央病院の建て替え、きれいな建物となりました。
何が見つかったの?弥生時代末から古墳時代初頭の区画の小さい田んぼ(写真4)の跡と、とっても小さな区画の田んぼ(写真1.2)の跡が見つかりました。 3.発掘調査風景 4.発見された区画の小さい田んぼ 田んぼの数と大きさはどれくらい?とっても小さな区画の田んぼの図(写真1.2) 区画の小さい田んぼの図(写真4) 1997年度調査では17枚の田んぼの跡が見つかり、1998年度では91枚の田んぼの跡が発見されました。両方あわせて、なんと108枚の田んぼが確認され、調査されました。 とっても小さな区画の田んぼの1枚の平均面積は3.52平方メートルで、最大面積は6.17平方メートル、最小面積は2.39平方メートルでした。ちなみに一坪(畳2枚分3.3平方メートル)よりも小さな田んぼですね。 区画の小さい田んぼの平均面積は17.40平方メートルで、最大面積は27.30平方メートル、最小面積は8.98平方メートルでした。 山梨県では、この時代大きな田んぼをつくる技術がなかったのでしょうか? とっても小さな区画の田んぼからは、弥生時代末の土器が集中していること、また区画の小さい田んぼからは、古墳時代初頭の土器が見つかっていることから、もしかすると田んぼがつくられた時代が違っているのかも知れません。 そして、床土を調べた結果から、とっても小さな区画の田んぼでは粘土に含まれている細かな砂の量が多く、区画の小さい田んぼでは、粘土に含まれている砂の量が少ないこともわかりました。このことから、区画の小さい田んぼはとっても小さな区画の田んぼより時代が新しく、水を保つ力を高める技術などが向上したからでしょうか。 県内で調査された弥生時代末から古墳時代前期頃の田んぼの遺跡数は少ないのですが、中世以降は広く大きな田んぼがつくられています。 それは、木製の農耕具から鉄製の農耕具へと移り変わり、技術が進歩した結果だと思われます。 16世紀後半頃の仲田遺跡の田んぼの跡 弥生時代末から古墳時代初頭の田んぼの跡 へー、ずいぶん大きさが違うなー。仲田遺跡の田んぼは、今とあまり大きさが変わらないのにね。
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