トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNO.0197円楽寺
ページID:25895更新日:2015年12月14日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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古くから富士山は偉大で恐ろしい山として、人々は遠くからこの山を拝んでいました。中世(1200~1600年頃)になると山は修験者(しゅげんじゃ)の修行の場所へと変化し、富士山を信仰(しんこう)の対象とする富士講(ふじこう)が形作られ、近世(1600~1870年頃)には大都市江戸をはじめ関東一円から、多くの登山者を迎えるようになってきまいた。 遠くから拝まれていた富士山 所在地:山梨県甲府市右左口町岩窪地内 時代:中世・近世 調査期間:平成17年12月12日~26日,平成18年2月13日~26日 報告書:山梨県内中世寺院分布調査報告書 富士講の祖といわれている「役行者」(えんのぎょうじゃ)は、修行のために大宝元年(701)に、今の甲府市右左口町の七覚の地に、円楽寺(えんらくじ)を開いたと伝えられています。最盛期には寺域も今よりも広い範囲に及び、甲斐国でも有数の大寺院となり、当時の富士山への修行のための登山の出発点ともなっていたようです。 円楽寺の発掘調査は平成17年度に行われ、円楽寺の仏堂の一つであった六角堂跡(ろっかくどうあと)や、役行者をまつった行者堂跡が確認され、当時の信仰のようすを知ることができます。 行者堂跡 富士のお山はどこから登る?山梨県の歴史が書かれている「甲斐国志」や「中道町史」には、円楽寺の行者堂から上九一色郷(甲府市等)を含む12の行場をこえて、富士山2合目御室浅間神社境内地内にある行者堂まで「富士登山道」を最初に開いた際のスタート地点となったとの説明がみえます。 毎年、子どもからお年寄り、国内外の多くの人々が山頂目指し、登ることができるようになった富士山。昔の人のように特別な信仰心はないが、山頂を目指す数多くの人をひきつけてやまない富士山の不思議な魅力は、古くからの、山を神様として拝んできた人々の気持ちと同じなのではないでしょうか。 行者堂のとなりに位置する六角堂 0042円楽寺-六角堂-2006.03.22~2006年3月29日 0044円楽寺-六角堂石塔群-2006.04.05~2006年4月12日
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