トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0016岩清水遺跡
ページID:8464更新日:2017年5月9日
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府市の遺跡
(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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岩清水遺跡では、甲府市の曽根丘陵公園内に位置する古墳時代中期(今から約1,500年前)の円形周溝墓2基を発見しました。遺跡は、平地から南側の丘陵にあがり始める傾斜変換点に立地しています。曽根丘陵上には、これらの円形周溝墓と同様の墳墓群である東山南遺跡が位置しており、岩清水遺跡の円形周溝墓群より古い土器を出土していることから、これらの墳墓の方が早く築造されたことを知ることができます。
所在地:甲府市下向山町 時代:弥生時代後期・古墳時代中期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書_第182集_2000(平成13)年 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 写真:遺跡を上から見た写真(右上は茶塚古墳・中央は1号円形周溝墓・左は2号) 写真:第1号円形周溝墓作業風景 出土した遺物第1号円形周溝墓の周溝部からは、下の写真のような須恵器が出土しました。須恵器は5世紀(今から1,500年前)の初めに朝鮮半島より伝えられた登り窯で焼く焼き物で、それまで使われていた土師器よりも硬いという利点があります。5世紀にはまだ朝鮮半島から伝えられてから、それほど時間が経っていないことから、数が少なく貴重品でした。また朝鮮半島文化の影響が色濃く、それまで日本では使われていない器種が数多く見られます。
写真左側はハソウという器種です。お祭りの時などに使われたと考えられています。
右側は高坏という器種で、供膳具です。高坏は土師器にも見られる器種ですが、この時期の須恵器は脚が短く、土師器より大型で装飾性に富んでいるのが特徴です。この場合も儀式用に用いられたのでしょうか。
また岩清水遺跡からは、須恵器の他にも土師器もたくさん出土しています。これらの遺物は考古博物館に展示されています。 写真:第1号円形周溝墓の溝部分から出土した古式須恵器 写真:第2号円形周溝墓から出土した土器 整備された岩清水遺跡現在、岩清水遺跡は築造当時の姿に復元され、風土記の丘公園の一角に位置しています。低い墳丘のまわりには、砂利で取り囲まれた部分が見られますが、これは周溝の範囲を表現したものです。
公園内管理用道路をはさんで北側には、ほぼ同時期に築造されたと考えられる茶塚古墳(かんかん塚古墳ともいう)があります。またこれらのものよりやや古い時期の銚子塚古墳や丸山塚古墳(いずれも国史跡)も近接していて、全体として、甲斐地域の古墳時代のようすを体感できるスポットになっています。 写真:復元された岩清水遺跡の円形周溝墓 |