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ページID:4389更新日:2017年6月15日
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甲府市の遺跡(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)
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円楽寺石塔群円楽寺六角堂西側には、中世(鎌倉時代~室町時代)の石塔群が所在します。石塔は、主に先祖供養や墓石などとして建てられました。いろいろな形が見られ、「五輪塔(ごりんとう)」や「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」、「石仏」など種類も様々です。石塔は、奈良時代にも見られますが、中世に入り多種多様になります。例えば、宝塔・多宝塔(たほうとう)・五輪塔・宝篋印塔・層塔などがあります。 この中でも五輪塔は、室町時代以降に大量に造られ、今でも古い墓地の片隅や、寺院の境内で見かけることがあります。 所在地:甲府市右左口町岩窪 時代:中世・近世 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 円楽寺六角堂の石塔群写真は、円楽寺六角堂に所在する石塔です。このうち左は宝篋印塔の基礎です。この石塔の左側面には、10行程度の銘文が記されていますが、痛みが激しくほとんど解読はできません。しかし、かろうじて「天文十六」(1547)年の年号を読み取ることができ、この石塔が存在した年代を知ることができます。天文十六年は、武田信玄が甲州法度之次第を制定した年でもあります。 右の写真は、六角形の石塔です。その形から、はじめは江戸時代に造られたものだと思われていましたが、基礎部分から「永禄四」(1561)年の文字が発見され、中世にさかのぼる可能性が出てきました。しかし、石塔が完成した後、さかのぼった年号を掘った可能性もあるので、現在類例を調査中です。 石塔からは、当時の人々の生活や信仰などを知ることができます。また、石塔に限らず石造物は街道沿い、神社・仏閣など日常生活の中で接することのできる文化財です。 当時の人々は何を思い、どういった目的で石塔を建てたのでしょうか。 甲州法度之次第:分国法(戦国時代の大名が自分の支配領域を統治するために配布した法令) 【写真左;山梨市牧丘町字浄居寺の宝篋印塔、右;山梨市牧丘町字浄居寺の五輪塔】
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