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ページID:4389更新日:2017年6月15日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0044円楽寺

甲府市の遺跡

(甲府城関連・曽根丘陵公園を除く)

  • 0016岩清水遺跡-古式須恵器-
  • 0042円楽寺-六角堂-
  • 0044円楽寺-六角堂石塔群
  • 0197円楽寺-行者堂と富士山-
  • 0061富士見一丁目遺跡-田んぼ-
  • 0361富士見一丁目遺跡-プラ箱でつくったお米の量と県内の最も小さな区画された水田-
  • 0086知ろう山梨の歴史!山梨の遺跡展2007特集-
  • 0087知ろう山梨の歴史!山梨の遺跡展2007特集-
  • 0140榎田遺跡-壷型土器-
  • 0205榎田遺跡-スプーン状土製品-
  • 0255榎田遺跡-装飾器台-
  • 0321榎田遺跡-甑-
  • 0152八幡神社遺跡-発掘調査速報-
  • 0162八幡神社遺跡-発掘調査速報第2弾-
  • 0191八幡神社遺跡-整理調査速報-
  • 0207八幡神社遺跡-整理調査速報2-
  • 0223八幡神社遺跡-整理調査速報3-
  • 0185米倉山B遺跡-山梨最古の須恵器-
  • 0222米倉山B遺跡ー「貸泉」-
  • 0309米倉山B遺跡-二重口縁壺-
  • 0187上野原遺跡-古道‘中道往還’-
  • 0393上野原遺跡-水煙土器
  • 0238音羽遺跡-転用硯-
  • 0266音羽遺跡-磨製石鏃-
  • 0246菖蒲池遺跡-弥生時代のお墓-
  • 0021塩部遺跡-人形木製品-
  • 0268塩部遺跡-日本最古級のウマ-
  • 0381塩部遺跡-山梨県内の戦争遺跡-
  • 0383県指定史跡加牟那塚古墳-古墳のデータと石室-
  • 0402大坪遺跡-調査速報-
  • 0411久保田・道々芽木遺跡-

円楽寺石塔群

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円楽寺六角堂西側には、中世(鎌倉時代~室町時代)の石塔群が所在します。石塔は、主に先祖供養や墓石などとして建てられました。いろいろな形が見られ、「五輪塔(ごりんとう)」や「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」、「石仏」など種類も様々です。石塔は、奈良時代にも見られますが、中世に入り多種多様になります。例えば、宝塔・多宝塔(たほうとう)・五輪塔・宝篋印塔・層塔などがあります。

この中でも五輪塔は、室町時代以降に大量に造られ、今でも古い墓地の片隅や、寺院の境内で見かけることがあります。


所在地:甲府市右左口町岩窪

時代:中世・近世

調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター

円楽寺六角堂の石塔群

円楽寺石塔2円楽寺石塔1

写真は、円楽寺六角堂に所在する石塔です。このうち左は宝篋印塔の基礎です。この石塔の左側面には、10行程度の銘文が記されていますが、痛みが激しくほとんど解読はできません。しかし、かろうじて「天文十六」(1547)年の年号を読み取ることができ、この石塔が存在した年代を知ることができます。天文十六年は、武田信玄が甲州法度之次第を制定した年でもあります。

右の写真は、六角形の石塔です。その形から、はじめは江戸時代に造られたものだと思われていましたが、基礎部分から「永禄四」(1561)年の文字が発見され、中世にさかのぼる可能性が出てきました。しかし、石塔が完成した後、さかのぼった年号を掘った可能性もあるので、現在類例を調査中です。

石塔からは、当時の人々の生活や信仰などを知ることができます。また、石塔に限らず石造物は街道沿い、神社・仏閣など日常生活の中で接することのできる文化財です。

当時の人々は何を思い、どういった目的で石塔を建てたのでしょうか。

甲州法度之次第:分国法(戦国時代の大名が自分の支配領域を統治するために配布した法令)

廃浄居寺宝廃浄居寺石塔

【写真左;山梨市牧丘町字浄居寺の宝篋印塔、右;山梨市牧丘町字浄居寺の五輪塔】

 

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山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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