トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.133鰍沢河岸跡
ページID:4474更新日:2016年2月1日
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富士川町の遺跡
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鰍沢河岸跡は、富士川町(旧鰍沢町)明神町~横町地区に所在し、江戸時代に開かれた富士川舟運に伴う船着き場として設けられた川の港です。 写真2鰍沢河岸跡遠景 写真3平成19年度調査区 焼土層遺物の表面の傷跡は、埋まっていた場所の土と関係がありそうです。 よく見ると土の色が所々オレンジっぽく変色しているのがわかります。 それはこの地域で火事があったことを物語っています。 写真4焼土層と遺物 火事の記録と遺物写真5鰍沢河岸跡出土遺物 表面を拡大! さらに拡大! 「表面が凸凹!プツプツ!ツヤガない!」
鰍沢河岸は文政4(1821)年正月に周辺の家77軒を焼く大規模な火事に見舞われたという記録が残っています。 出土した遺物の中には〔写真1、写真5〕のように表面の釉薬のツヤが失われ、さらにはプツプツと発泡し、他の陶磁器とは外見が明らかに違うものがあります。それらは高温を受けたために起きた状態と推測され、文政4年の大火によって被害を受けたのであろうと考えられます。
遺物の表面にできた傷跡は火事が原因だったのです。 |