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ページID:4325更新日:2017年6月5日
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北杜市の遺跡
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シリーズ山梨県で見つかった「陥し穴」No5遺跡トピックスNo.0109(原町農業高校前(下原)遺跡)に続く第5弾(最終回) 「清里地区の遺跡」(北杜市高根町)清里地区「丘の公園第2遺跡」、「丘の公園第5遺跡」、「清里の森第1遺跡」 丘の公園第2遺跡_丘の公園第5遺跡 清里の森第1遺跡所在地:北杜市高根町清里 時代:縄文時代 報告書:丘の公園第2遺跡「山梨県埋蔵文化財センター調査報告第46集」1989年3月 丘の公園第5遺跡「山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第56集」1990年3月 清里の森第1遺跡「山梨県埋蔵文化財センター調査報告第32集」1987年3月 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター Qこれらの遺跡は、どのような事業のために調査したのですか?A_丘の公園第2遺跡は、丘の公園のゴルフ場造成事業に先立つ発掘調査です。 清里の森第1遺跡は、「清里の森」造成に先立つ遺跡の範囲確認調査により、遺跡はそのまま保存されることとなりました。 Q変わった名前の遺跡ですが何故ですか?A_丘の公園の各遺跡は、北杜市高根町清里に位置し、丘の公園地内にあります。この地域は県有林で、近世には御領林でした。ですから字名のない空白の地となっており、遺跡名としてこのような名称が付けられました。 清里の森(1,320m)は、丘の公園からは約2km離れた場所にあり、この森は200haにものぼる広大な面積があります。丘の公園と同様、字名がありませんでしたのでこの名称が付けられました。 Q今回は、どのような陥し穴ですか?A_丘の公園第2遺跡は、標高が1,210m以上もある場所につくられました。見つかった陥し穴の数は、全部で3基です。写真は、1,2号陥し穴です。1号陥し穴は、長さが220cm、幅は120cm、確認された面からの深さは80cmありました。そして、底のほぼ中央に楕円形の掘り込みも見つかりました。この穴の大きさは、長さ50cm、幅20cm、深さ50cmありました。また楕円形の穴の中に棒状の杭を6本立てて、土で埋め戻した状況が見られました。2号陥し穴は、長さが240cm、幅は160cm、深さは確認面から80cmありました。底には3本の穴が一列に並んで見つかり、深さは30cmほどありました。これらの陥し穴は、遺物は見つかってはいませんが、縄文時代につくられたものと考えられています。 丘の公園第5遺跡は、標高が1,100m~1,200mの場所につくられました。見つかった陥し穴の数は、22基です。写真の陥し穴は、B型1号陥し穴と名付けられました。B型とは、細長い形で深さも1.5m程度と深く、横断面がV字状のもので、この遺跡で見つかった陥し穴の分類により付けられました。つくられた時代ですが、掘削したときの工具の痕や掘り込みの面などから、中世くらいに位置づけられます。 清里の森第1遺跡は、標高1,320m前後につくられました。見つかった陥し穴の数は、2基です。写真の陥し穴は、2号陥し穴です。この穴は、1号住居跡(縄文時代中期中頃:今から約4,500年前頃)に壊されていました。また、もう一基の陥し穴は、土層状況から縄文時代早期の可能性があります。ですから、もしかしたら2号陥し穴は、縄文時代早期のものかも知れません。 丘の公園第2遺跡で見つかった「陥し穴」 これらの陥し穴は、森に棲むイノシシやシカ、カモシカなどを捕らえるために縄文人が設置したものと思われます。
今回、第5回目をもちまして「シリーズ山梨県で見つかった「陥し穴」を終了いたします。今までご高覧ありがとうございました。
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