トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNO.241村前東A遺跡
ページID:32020更新日:2017年5月30日
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南アルプス市の遺跡
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村前東A遺跡の概要村前東A遺跡は、南アルプス市(旧櫛形町・若草町)にある遺跡で、国道52号甲西バイパスと中部横断自動車道建設に先立ち、平成2~8(1990~1996)年の5回にわたって発掘調査が行われました。この地は御勅使川(みだいがわ)扇状地(せんじょうち)の扇端部(せんたんぶ)にあたり、洪水などの被害を受けやすい地域なのですが、発掘調査により古墳時代前期(今から1,600年ほど前)の竪穴住居跡が141軒、平安時代(1,100年ほど前)の竪穴住居跡が64軒発見され、当時の大規模な集落が存在したことが明らかになりました。古墳時代前期の住居跡などからは、濃尾平野(愛知県・岐阜県)や北陸地方で使われていたものと同じ形をした土器が出土しており、古墳時代の早い段階から他地域との交流が活発に行われていたことがわかります。 村前東A遺跡の空撮写真 所在地:南アルプス市(旧櫛形町)十五所・(旧若草町)十日市場 時代:弥生時代後期・古墳時代前期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第157集(1999年3月) 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 手焙形土器[てあぶりがたどき]とは・・・手焙形土器は、弥生時代後期から古墳時代前期に出現する土器で、鉢の上部に覆いをかぶせたような形をしています。その形が、炭を入れて手をあぶるために使われる「手炙・手焙(てあぶり)」と呼ばれる小型の火鉢に似ていることから名前がつけられました。 [写真1(左)]村前東A遺跡出土の手焙形土器 [写真2(右)]村前東A遺跡出土の手焙形土器(正面)※奥の底の部分が一部欠けています 村前東A遺跡では、竪穴住居跡の入り口付近(写真3)や柱の穴の中(写真4)から出土していて、住居を使わなくなった時やその後に行われた儀式で使用されたものと考えられます。また、手焙形土器は濃尾平野(愛知県・岐阜県)を中心に分布していることから、S字状口縁台付甕やパレススタイル壺などとともに当時の他地域との交流を示す土器のひとつであるとも言えます。 [写真3(左)]住居跡の入り口付近から出土した手焙形土器 [写真4(右)]住居跡の柱穴の中から出土した手焙形土器の破片 今回紹介した村前東A遺跡の手焙形土器は、山梨県立考古博物館の常設展示コーナーに展示されています。ぜひ、実物をご覧になってこの土器がどのように使われたのか想像していただきたいと思います。
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