ページID:37217更新日:2017年5月24日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0286村前東A遺跡

南アルプス市の遺跡

0006十五所遺跡-方形周溝墓-
0010大師東丹保遺跡-網代-
0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
0149大師東丹保遺跡-木製品-
0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
0259大師東丹保遺跡-下駄-
0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
0017二本柳遺跡-木棺墓-
0122二本柳遺跡-福寿院跡-
0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
0276二本柳遺跡-火きり臼-
0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
0051仲田遺跡-田んぼ-
0052百々遺跡-八稜鏡-
0065百々遺跡-錘-
0066百々遺跡-馬の骨-
0101百々遺跡-洪水の跡-
0136百々遺跡-浄瓶-
0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
0269百々遺跡-黒色土器-
0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
0081油田遺跡-田んぼと木製品-
0144油田遺跡-木製竪杵-
0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
0409釜無川堤防跡遺跡-
0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
0241村前東A遺跡-手焙形土器-
0250村前東A遺跡-住居跡-
0286村前東A遺跡-S字甕-
0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
0168新居道下遺跡の住居跡-
0216長田口遺跡の鏡片-
0340向河原遺跡-水田跡と杭列-

村前東A遺跡(むらまえひがしえーいせき)

0286_村前東A遺跡全景

村前東A遺跡の古墳時代前期の住居跡群

村前東A遺跡は、甲府盆地の西部、標高280m前後の御勅使川扇状地(みだいがわせんじょうち)に位置しています。国道52号(甲西バイパス)と中部横断自動車道の建設に伴い、1990~1996(平成2~8)年にかけて5回にわたり調査が行われています。
南アルプスインターチェンジ一帯に広がるこの遺跡では、古墳時代前期(今から1,700年~1,600年ほど前)と平安時代(今から1,100年ほど前)に、大きなムラが営まれていたことが発掘によって明らかになりました。特に古墳時代前期には、約100年間にわたり141軒もの竪穴住居が造られ続け、たくさんの土器が使われていました。

所在地:南アルプス市(旧櫛形町)十五所・(旧若草町)十日市場
・時代:弥生時代後期・古墳時代前期・平安時代
・報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第157集(1999年3月)
・調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

画期的な薄さと軽さ-S字甕(えすじがめ)-

わが国に巨大な古墳が造られ始める3世紀の中頃、列島の各地で、ある地域の特徴をもった土器が別の地域で発見される「土器が移動する」現象が活発になります。とはいっても、土器が勝手に動く訳ではありませんので、土器を持って人が動く、あるいは別の地域へ行って作る、さらには別の地域の人がマネをして作る、ということになります。
この頃の東日本では、東海・北陸・近畿地方の特徴をもった土器が見られますが、中でも東海地方の濃尾平野から伊勢湾沿岸地域にかけての影響は大きく、それまで東日本の各地域ごとに特徴があった弥生時代後期の土器が、この地域の影響を受けて前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)の広がりとともに、古墳時代の土器である土師器(はじき)に変わります。
そして、土器自体の製作にも大きな技術革新が起こります。非常に薄く、軽い甕の出現です。「薄くて軽い」ということは、熱の伝わりの良さや運びやすさがあり、効率的に食事を供給できます。巨大な古墳を造るような、多くの人を動員するようなときに、まさに適した道具といえます。

0286_村前東A遺跡S字甕

村前東A遺跡出土のS字甕

0286_村前東A遺跡S字甕2

口縁部のアップ

東海地域の濃尾平野で誕生した「S字甕」と呼ばれる薄い甕は、名前の由来となったアルファベットの「S」字状をした口縁部の屈曲と表面のハケ目が特徴で、東日本では静岡県・群馬県と並んで、甲府盆地でも村前東A遺跡をはじめたくさん発見されており、古墳時代前期を通じて盛んに作られていたことがわかっています。かたちの変化が追いやすく、ここで紹介したS字甕は、表面の横方向のハケ目がなくなった新しい段階のもので、甲斐銚子塚古墳の周溝からも同じタイプのものが出土していますが、甲府盆地では口縁部に文様のある古いタイプも多く、東日本ではいち早く当時の生活スタイルに取り入れられていました。厚さは2ミリほどで、縄文時代の深鉢や弥生時代の甕と比べるとはるかに薄く、昭和初期のアルミ製鍋の登場と同じくらいの画期的な薄さと軽さがあります。
甲府盆地では、他にも「パレススタイル壺(つぼ)」(トピックスNo.0106)と呼ばれる赤く塗られた土器や食べ物を盛りつける高杯(たかつき)などの東海地方の土器が数多く見られ、盆地内に広く定着していたことがわかります。
「土器の移動」は縄文時代から見られる現象ですが、この時期については特に注目されてきました。そこには、邪馬台国からヤマト王権へ、そして巨大な前方後円(方)墳が造られるという、当時の社会情勢を解明する手がかりがあるからにほかなりません。

お知らせ

村前東A遺跡から出土したS字甕は、現在考古博物館で開催中の春季企画展「古代の台所~縄文土器から圧力鍋まで~」で展示されています(6月26日まで)。また、常設展示でも見ることができます。
企画展では、縄文時代から始まった煮炊きの道具の移り変わりとともに、台所の歴史を見ることができます。ぜひご覧ください。

 

※この企画展は終了しました。

 

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
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