ページID:38708更新日:2017年6月16日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0302上コブケ遺跡

山梨市の遺跡

0037足原田遺跡-鞴の羽口-
0046足原田遺跡-凸帯付三耳壷-
0054延命寺遺跡-台付甕-
0221足原田遺跡-食べ物-
0296上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器-
0302上コブケ遺跡C区-発掘調査速報-
0313上コブケ遺跡A・B・C区-発掘調査速報-
0365上コブケ遺跡B区-県内の人面装飾付土器特集-
0346上コブケ遺跡D区-発掘調査速報-
0348上コブケ遺跡D区-発掘体験セミナー-
0324廻り田遺跡B区-発掘調査速報-
0325膳棚遺跡B区-打製石斧-
0330膳棚遺跡A区-調査概要-
0358膳棚遺跡D区-発掘調査速報-
0368膳棚遺跡D区-発掘調査速報2-
0373膳棚遺跡D区-遺跡紹介-
0384上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器の復原修復-
0394上コブケ遺跡C区-ナイフ形石器-

上コブケ遺跡について

上コブケ遺跡は山梨県山梨市八幡地区に所在する、縄文、古墳、平安時代の遺跡です。西関東連絡道路建設に先立ち、今年の5月から遺跡をA区、B区、C区に区切って発掘調査を行っています。

0302_上コブケ遺跡_調査風景

上コブケ遺跡のC区では、主に平安時代の住居跡や掘立柱建物跡、水路の跡などが確認されています。また遺物としては、土師器、須恵器といった生活什器が主ですが、縄文時代のやじりに使われたと考えられる黒曜石の破片なども見つかっています。これらの遺物の中から、今回は最近発見された平安時代の土師器の(つき)についてご紹介します。

土師器(はじき)とは?

弥生土器から発展した素焼きの土器で、およそ古墳時代から平安時代までのものを指します。(中世以降の同系統の土器は「かわらけ」などと呼んで区別することが多いです。)主には、煮炊きや料理の盛り付け用、貯蔵用として日常的に使われていました。

山梨県内の平安時代の遺跡から出土する土師器は、「甲斐型土器」と呼ばれ、ほかの地域のものとはちょっと違った特徴を持っています。

例えば、甲斐型土器の内側の表面を写した次の写真にみえる、この赤褐色の色と、表面にうっすら見える渦巻き状の線(暗文)が甲斐型土器の特徴といえます。現在調査が進む上コブケ遺跡から出土した土師器もこの甲斐型土器です。

0302_上コブケ遺跡_甲斐型土器

上コブケ遺跡から出土した土師器の内側の表面

渦巻き状の暗文は焼く前に棒状の工具でつけられたものと思われます。

重ねられて出土した土師器

さて、今回の調査で見つかった土師器は、平安時代の住居外の東側から、容器に蓋をしたかのように、2枚合わせの状態で出土しました。

 

 

0302_上コブケ遺跡_土師器1

 

 

この伏せてある土師器の坏を取ると、その下からさらに坏が!

0302_上コブケ遺跡_土師器2

なぜ、このように合わせの状態で出土したと思いますか?

偶然でしょうか?それとも人為的なものでしょうか?

出土した坏の状態が、磨耗していない点やほぼ完形であることから偶然ではなく、人為的に配置されたものと考えられます。

人為的に重ねられたとしたら、何の目的でこのようにしたのでしょう。

民俗や調査事例からは次のようなことが考えられます。

出土場所が住居の周辺という点から、出産に関わる遺構の可能性が想定されます。縄文時代から、住居の入り口付近に穴を掘って、土器に胎盤を入れ蓋をして埋めるということが行われていました。これは、わざと人が踏みつける場所に、胎盤といった出産に関するものを埋めて、わが子が強くたくましく育つように願いをこめたものと考えられています。

科学的な分析を行っていないので確かなことはいえませんが、当時の人が、何を思って行動したのか皆さんも想像をめぐらせてみてください。

 

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