トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0301甲府城下町遺跡
ページID:38690更新日:2017年5月24日
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甲府城下町の遺跡 |
遺跡について甲府城下町遺跡は、甲府城を中心として成立した武家屋敷や町人地を含む広域に広がる近世の遺跡です。2005・2006年度に調査されたJR甲府駅北口にある県有地付近は、幕末の嘉永2年(1849年)以降の「懐宝甲府絵図」などをみると100~400俵取りの甲府勤番士の屋敷や空閑地が区画されるところでした。 発掘調査の結果、土地を区画していた溝跡や数多くの土坑、園池(えんち:池のある庭園)などの遺構や、当時の生活を垣間見ることができる18世紀中ごろから19世紀中ごろまでを中心とした大量の陶磁器類などが見つかっています。 所在地:山梨県甲府市北口2丁目 時代:中世・近世・近代 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第258集『甲府城下町遺跡(北口県有地)報告書』 リンク:遺跡トピックスNo.0038No.0055No.0088No.0116No.0131 〈写真〉甲府城下町(北口県有地)近景 埋桶(うめおけ)について埋桶(うめおけ)とは、トイレ遺構のことです。福井県の鳥浜貝塚からは縄文時代前期(今から約5,000年前)の水辺に桟橋状の施設を作って用を足していたと考えられる遺構が糞石(ふんせき)とともに見つかっています。また、7世紀末から8世紀初頭の藤原京でも、トイレ遺構の存在が明らかとなっています。 時代が下って江戸時代後半になると、各地の発掘調査事例から、桶や甕(かめ)を地中に埋めた汲取り式トイレが作られていたことが分かります。これは、肥料として利用するためでした。 北口県有地からは江戸時代末期から明治時代に使用されていたと推測できる埋桶が4基発見されました。これも、直径約1mの大型の桶を地中に埋めた当時の一般的な構造を取っています。 〈写真〉埋桶の調査風景 ブドウの種子状態良く残っていた2基の埋桶内部より採取した土壌を分析したところ、動物の骨片や種子類などに混じってブドウの種子が発見されました。 〈写真〉発見されたブドウの種子(左)とその拡大写真(右) この種子ですが、発見された112個体の大きさを計測すると、平均で長さ7.3mm、幅4.6mm、厚さ3.4mmの値が求められたことで、野生のブドウ類よりも大型で縦長の特徴を持つ、現在栽培されている甲州種に近い種類の栽培種であったことが判明しました。 埋桶が使用されていた当時の食物の流通状況から、果実類は長期保存や運搬には不向きであり甲府周辺で栽培されたものが食べられていたことが想定できることなどから、果実王国山梨の歴史を裏付ける珍しい資料と言えるでしょう。 |