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ページID:39085更新日:2017年5月17日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックス九鬼2遺跡No.0305

都留市の遺跡

  • 0026四ノ側遺跡-平安時代住居-
  • 0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-
  • 0080玉川金山遺跡-土坑墓-
  • 0090玉川金山遺跡-炉穴-
  • 0093玉川金山遺跡-鉄鏃-
  • 0099玉川金山遺跡-地下式坑-
  • 0118玉川金山遺跡-集石-
  • 0182玉川金山遺跡-台石-
  • 0082中溝遺跡-耳飾り-
  • 0104天正寺遺跡-弥生土器-
  • 0128天正寺遺跡-様々な弥生土器-
  • 0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-
  • 0190中谷遺跡-三角とう形土製品-
  • 0258中谷遺跡-注口土器と蓋-
  • 0263中谷遺跡-集石土坑-
  • 0167美通遺跡-敷石住居跡-
  • 0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-
  • 0201美通遺跡-発掘調査速報-
  • 0204美通遺跡-発掘調査速報2-
  • 0206美通遺跡-発掘調査速報3-
  • 0220美通遺跡-発掘調査速報4-
  • 0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-
  • 0289美通遺跡-D区発掘調査速報-
  • 0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-
  • 0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-
  • 0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-
  • 0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-
  • 0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-
  • 320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-
  • 0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-
  • 0349三ノ側遺跡-羽口-
  • 0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-
  • 0400谷村城-歴史と変遷-
  • 0413谷村城-発掘調査速報-

本遺跡は、山梨リニア実験線関連施設建設に伴い、1993年に発掘調査が行われました。桂川を西に見下ろす九鬼山の北西面に立地し、周辺には、桂川に合流する各支流に発達した河岸段丘上に、縄文時代(約12,000~2,000年前)を中心とする数多くの遺跡が存在します。
調査の結果、平安時代(約1,100~1,000年前)を中心とした集落であることが確認されましたが、縄文時代前期~後期(約5,000~2,400年前)に至る遺物が検出され、縄文時代の住居跡も1軒確認されています。

所在地都留市井倉字九鬼
◇時代縄文時代前期~後期、平安時代
◆調査期間1993年6月~12月
◇報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第118集
◆トピックス遺跡トピックスNo.175

0305作業風景0305トピックスNo.0175で紹介した装飾

作業風景トピックスNo,0175で紹介した装飾

蔵骨器とは?

蔵骨器とは、考古学的には骨壺のことですが、主として、火葬(かそう)や洗骨葬(せんこつそう)の遺灰(いはい)や遺骨(いこつ)を納めた容器のことをいいます。インドや中国でみられる仏舎利容器(ぶっしゃりようき)等は、その一種と考えられてます。
日本では、通常、火葬骨を納めた容器に限定されますが、器形としては、奈良~平安時代には球形の壺ないし短頸壷(たんけいつぼ)や、九鬼2.遺跡のような長頸壷(ちょうけいつぼ)の器形をした須恵器や灰釉陶器(かいゆうとうき)などが用いられました。中世になると、各地方の在地で生産されたものや、瀬戸焼の瓶子(へいし)が用いられ、しばしば常滑焼の鉢等が蓋(ふた)の代わりに使用されました。中には軽石や自然礫(れき)で蓋をする場合もみられます。

0305九鬼2.遺跡出土状況0305九鬼2.遺跡出土蔵骨器

九鬼2.遺跡蔵骨器出土状況九鬼2.遺跡出土蔵骨器【平安】

蔵骨器について

0305千葉県我孫市の蔵骨器0305甲州市大善寺出土土器

左)千葉県我孫市:羽黒前遺跡出土蔵骨右)山梨県甲州市:大善寺中世墓出土土器(県指定)

左の写真は、千葉県我孫子市出土(奈良~平安時代)の蔵骨器です。短頸壷の頸部が欠損したものを利用しており、蓋には高台付盤(こうだいつきばん)を使っています。中に火葬した骨が納められていたそうです。
右の写真は、山梨県甲州市の大善寺境内から出土している中世の蔵骨器です。写真に見られるように蔵骨器としての使用にあたり、意図的に容器の一部分を打ち欠いており、蔵骨器としての使用が考えられています。
九鬼2.遺跡の壺でも頸の部分を、意図的に打ち欠いて、蔵骨器として使用されたと思われますが、壺の中の土など分析しましたが、焼骨などは確認できませんでした。

最後に

奈良~平安時代や中世当時は、現在のように火葬が一般化していないため、火葬されるのは高貴な身分の人に限られていたようです。
亡くなった人を火葬するという風習は、記録によると7世紀最後の年に道昭(どうしょう)というお坊さんが亡くなった時に、今の奈良県の地で火葬されたのが最初とされています。


今の時代では当たり前となった火葬ですが、お墓には、皆さんのご先祖や身内の人たちの火葬されたお骨が納められています。
ちょうど、今週は秋のお彼岸にあたります。
お墓参りには、ご家族みんなで出かけましょう。

 

 

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