本遺跡は、山梨リニア実験線関連施設建設に伴い、1993年に発掘調査が行われました。桂川を西に見下ろす九鬼山の北西面に立地し、周辺には、桂川に合流する各支流に発達した河岸段丘上に、縄文時代(約12,000~2,000年前)を中心とする数多くの遺跡が存在します。
調査の結果、平安時代(約1,100~1,000年前)を中心とした集落であることが確認されましたが、縄文時代前期~後期(約5,000~2,400年前)に至る遺物が検出され、縄文時代の住居跡も1軒確認されています。
所在地都留市井倉字九鬼
◇時代縄文時代前期~後期、平安時代
◆調査期間1993年6月~12月
◇報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第118集
◆トピックス遺跡トピックスNo.175
 
蔵骨器とは?
蔵骨器とは、考古学的には骨壺のことですが、主として、火葬(かそう)や洗骨葬(せんこつそう)の遺灰(いはい)や遺骨(いこつ)を納めた容器のことをいいます。インドや中国でみられる仏舎利容器(ぶっしゃりようき)等は、その一種と考えられてます。
日本では、通常、火葬骨を納めた容器に限定されますが、器形としては、奈良~平安時代には球形の壺ないし短頸壷(たんけいつぼ)や、九鬼2.遺跡のような長頸壷(ちょうけいつぼ)の器形をした須恵器や灰釉陶器(かいゆうとうき)などが用いられました。中世になると、各地方の在地で生産されたものや、瀬戸焼の瓶子(へいし)が用いられ、しばしば常滑焼の鉢等が蓋(ふた)の代わりに使用されました。中には軽石や自然礫(れき)で蓋をする場合もみられます。
 
九鬼2.遺跡蔵骨器出土状況九鬼2.遺跡出土蔵骨器【平安】
蔵骨器について
 
左)千葉県我孫市:羽黒前遺跡出土蔵骨右)山梨県甲州市:大善寺中世墓出土土器(県指定)
左の写真は、千葉県我孫子市出土(奈良~平安時代)の蔵骨器です。短頸壷の頸部が欠損したものを利用しており、蓋には高台付盤(こうだいつきばん)を使っています。中に火葬した骨が納められていたそうです。
右の写真は、山梨県甲州市の大善寺境内から出土している中世の蔵骨器です。写真に見られるように蔵骨器としての使用にあたり、意図的に容器の一部分を打ち欠いており、蔵骨器としての使用が考えられています。
九鬼2.遺跡の壺でも頸の部分を、意図的に打ち欠いて、蔵骨器として使用されたと思われますが、壺の中の土など分析しましたが、焼骨などは確認できませんでした。
最後に
奈良~平安時代や中世当時は、現在のように火葬が一般化していないため、火葬されるのは高貴な身分の人に限られていたようです。
亡くなった人を火葬するという風習は、記録によると7世紀最後の年に道昭(どうしょう)というお坊さんが亡くなった時に、今の奈良県の地で火葬されたのが最初とされています。
今の時代では当たり前となった火葬ですが、お墓には、皆さんのご先祖や身内の人たちの火葬されたお骨が納められています。
ちょうど、今週は秋のお彼岸にあたります。
お墓参りには、ご家族みんなで出かけましょう。
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