トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNo.0331地耕免遺跡(ちこうめんいせき)?斎串(いぐし)と馬の歯?
ページID:42380更新日:2017年6月13日
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斎串(いぐし)となどの木製品 馬の歯の一部 地耕免遺跡とは地耕免遺跡(ちこうめんいせき)は、山梨県情報教育センター建設事業に伴い、1990年(平成2)に発掘調査が行われた遺跡です。遺跡のある笛吹市御坂町成田の周辺は、山梨県内における平安時代の中心地域にあたり、遺跡の多いところでもあります。 調査の結果、平安時代の住居跡が3軒、掘立建物跡4棟、井戸跡1基、溝跡3条、土坑1基、その他柱穴数基が見つかりました。出土した遺物は土師器(はじき)、木製品、斎串(いぐし)、馬の骨、モモ、クルミなどで、主に9世紀前半から10世紀前半のものです。特に斎串は、出土状況から雨乞(あまごい)などで使用されたと考えられています。 斎串(いぐし)と雨乞(あまごい)の関係斎串の出土状況 斎串(いぐし)は忌串(いみぐし)とも書き、木の枝や薄い板、細い角材を串状につくったものです。神を招くときの依代(よりしろ)として、神を招く場、神への供物、また災いを除ける祓い(はらい)の道具などとして用いられたものです。 杉や桧(ひのき)を素材とし、大きさは20cm~50cmくらいで、厚さは5mm~10mmくらいで、両端を尖らせたり切断したりしてあり、焼いた跡も見られます。この時、いけにえとして、馬や牛を殺してその首を、斎串を刺した水路に投げ込み雨乞を行ったといわれます。 なぜ、馬なのか?馬は、龍の化身(けしん)とされました。龍は水神と考えられていたことから、水に関わる祈りに馬が供えられていました。『続日本紀』(しょくにほんぎ)には、雨乞いの際には黒い馬を供え、降り続く雨を止めたいときには白い馬を供えていることや「河之精也」という記述があります。こうしたことから、水と馬の深いつながりがわかります。 雨乞いや止雨の祭礼を行うことには、干ばつや洪水などの自然災害の被害にあうことが多かった当時の社会背景があったようです。 <参考文献> 「山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第73集地耕免遺跡」(山梨県教育委員会1992.3)
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