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ページID:50670更新日:2017年6月8日
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甲斐市の遺跡0218金の尾遺跡-土偶-0228金の尾遺跡-紡錘車-0273金の尾遺跡-4号住居-0398金の尾遺跡-県内最古のガラス玉-0245唐松遺跡-炉のない家-0363唐松遺跡-炉と土偶-0253竜王2号墳-馬具にみる古代の技術- |
写真:発掘調査の様子 唐松遺跡唐松遺跡は、茅ヶ岳(かやがたけ)南麓の甲斐市宇津谷地内にある遺跡です。山梨県住宅供給公社の双葉唐松団地建設事業に先だって、1992年11月5日~25日に第1次調査が、1993年5月6日~1994年1月6日に第2次調査が行われました。 この遺跡からは、縄文時代中期初頭(今から約4800~4900年前)の集落が確認されています。竪穴住居跡11軒を中心とする遺構の他に、竪穴状遺構や平安時代の炭焼窯(すみやきがま)や後世の溝が発見され、縄文土器や土偶とともに、打製石斧(だせいせきふ)などの石器も多数出土しています。 所在地:甲斐市宇津谷(旧北巨摩郡双葉町宇津谷) 調査面積:約7,000平方メートル 主な時代:縄文時代中期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第111集 埋甕炉(まいようろ)と石囲炉(いしがこいろ)写真:4号住居跡の埋甕炉 埋甕炉は、胴部の下半分を水平に打ち欠いた土器を地面に掘った穴に設置して、その内部で火をたく炉です。深鉢形土器の口縁部が据え付けられています。 写真:9号住居跡の石囲炉 石囲炉は、四辺または三辺を石で囲んだ炉または炉跡。火をたく地面を掘りくぼめたり土器片を平らに敷き詰める例があります。縄文中期から住居内部の炉として定着していきます。 土偶(どぐう)写真:6号住居跡より出土した土偶(腹部と臀部の一部) 土偶は、縄文時代の人の形をした土製品です。特に中期の土偶は、腹部が大きく、妊娠している様子を表現しています。壊れて出土することが多く、安産祈願の呪具や疾病や傷害の身代わりとして、該当する箇所を意図的に打ち欠いて用いられたという説があります。また、縄文人がイメージした女神として考えられるという説もあります。これは、死した女神の体から食物が生まれてくるという神話に関連した作物の豊穣を願う土偶祭祀の信仰としてとらえる考えです。何れも、縄文人の精神世界をよく表していて、とても興味深いものです。 周辺の縄文時代の遺跡との関連について茅ヶ岳(かやがたけ)南麓には唐松遺跡の他にも縄文時代中期の遺跡がいくつかありますが、本遺跡の発掘調査では、さらに古い旧石器時代のナイフ形石器が出土したことから、茅ヶ岳南麓においては、人々の生活の痕跡が最も早く認められる遺跡となっています。 一方、遺跡の分布調査で明らかになった唐松遺跡と同じ縄文時代中期の遺跡としては、宇津谷遺跡や宇津棟遺跡等があります。ただし、発掘調査に至った周辺の遺跡が少ないことから、本遺跡との相互関係については詳しくは分かっていません。今後、唐松遺跡とこれらの遺跡との関連の詳細について考えていく必要があります。 |