トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo0406花鳥山遺跡
ページID:63405更新日:2017年5月15日
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笛吹市の遺跡
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遺跡概要花鳥山遺跡(はなとりやまいせき)は、笛吹市御坂町と八代町にまたがる御坂山塊北麓の丘陵地に立地する縄文時代の遺跡です。縄文時代早期~晩期までの資料が確認されていますが、特に前期の資料が豊富に見つかっており全国的にも縄文時代前期の遺跡として有名です。 また、明治27年に発行された『山梨懸市郡村誌』にはこの地域から土器が出土したことが書かれており、この地は古くから土器が出る場所として認識され、大正時代以降、土器の採集や発掘調査が度々行われてきました。今回は昭和62年の調査で発見された玦状耳飾り(けつじょうみみかざり)についてご紹介します。 遺跡名:花鳥山遺跡 時代:縄文時代 所在地:笛吹市御坂町竹居~八代町竹居 報告書:山梨県教育委員会『第45集花鳥山遺跡・水呑場遺跡』1989 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 関連トピックス 0135花鳥山遺跡-エゴマ種子塊- 0194花鳥山遺跡-縄文時代の食生活を知る遺物- 0199花鳥山遺跡-世界最大級の縄文土器?- 花鳥山遺跡全景 玦状耳飾りとは?縄文時代の耳飾りには「玦状耳飾り」(けつじょうみみかざり)と呼ばれるものと、「耳栓」(じせん)と呼ばれるものの二種類のタイプがあります。 玦状耳飾りは古代中国の玉器「玦(けつ)」に似ているためこのように呼ばれています。見た目はちょうどアルファベットのCの形をしています。 一方耳栓は、鼓(つづみ)のような円柱状をしています。(耳栓についてはこちらのトピックスをご参照ください。→No186三光遺跡) どちらも耳に穴をあけて使用しますが、玦状耳飾りは切れ込みの部分から耳のあけた穴に挿入して使用し、耳栓は耳のあけた穴にそのままはめこんで使用しました。 また、玦状耳飾りは縄文時代前期に盛んに用いられるのに対し、耳栓は縄文時代中期頃登場し、後・晩期に流行しました。どちらもその起源ははっきりとはわかっていませんが、使い方や形状が異なっていることから、玦状耳飾りの形が変化して耳栓になったとは考えにくく、それぞれのルーツは別であろうと考えられています。どちらも全国的な事例(耳飾りを付けた土偶の例など)から主には女性が身につけていたようです。 玦状耳飾りの移り変わり玦状耳飾りは縄文時代早期に登場し、前期に流行しますが、その形は時代と共にすこしずつ変化していきます。 下の図は中溝遺跡(なかみぞいせき)から出土した縄文時代早期の玦状耳飾りです。 中溝遺跡(都留市)から出土した縄文時代早期末の玦状耳飾り 花鳥山遺跡(笛吹市)出土の縄文時代前期後半の玦状耳飾り 一方、上の図は花鳥山遺跡から出土した縄文時代前期後半の玦状耳飾りです。 図を比べてみると、早期のものよりも前期のものの方が薄く作られており、中心の穴も小さいことがわかります。このように早期のものは断面が丸く、中心の穴が大きいですが、前期になると断面は薄く、中心の穴も小さくなっていきます。さらに中期のものになると、より薄くなり、平面形が円形ではなく縦長のものも現れます。こうして玦状耳飾りの変化をみてみると、この形が耳栓へと変化していくというのはやはり考えにくいように思われます…。 昔は赤かった?耳飾り花鳥山遺跡からは石製と土製の二種類の玦状耳飾りが出土しています。 石製の玦状耳飾りは4点出土しており、すべて滑石(かっせき)という柔らかい石で作られていました。そのうちの一つ1号住居跡から出土したものは、発見されたときは割れていましたが、完全な形に復元することができました。 1号住居跡 1号住居跡から見つかった玦状耳飾り この1号住居跡から見つかった玦状耳飾りには、割れ口等に赤色の顔料が残っていました。また、遺跡の他の場所から出土した土製の耳飾り2点についても表面が赤く彩色されていたことがわかっています。これらの事実を踏まえると、この耳飾りももしかしたら当時は今見えている色ではなく、耳飾り全面が赤かったのかもしれませんね。 耳飾りをはじめとする装身具は出土数が少なく、日常生活で使用された土器とは異なり、限られた人のみ持つことができたものだと考えられます。赤く彩色されていたことを考えても身体を飾るという目的の他に、魔除けといった意味合いもあったのだろうと考えられています。 耳飾りにあけられた3つの小さな穴1号住居跡から見つかった玦状耳飾り ところで、1号住居で発見されたこの耳飾りを観察してみると上の方に3つの小さな穴があいていることがわかります。どうしてでしょうか? 実はこの穴は、割れてしまった耳飾りを紐などを通して繋ぎ合わせるためにあけられた穴だと考えられます。当時の人々にとっては貴重品であった耳飾り。そのため、耳飾りは壊れてしまったらこのような穴をあけて修理して使っていたのだと推察されます。 ただ、このような修理用の穴は遺跡で見つかる耳飾りによくあけられているものの、花鳥山遺跡で見つかったもののように完形の状態となる耳飾りはごく稀です。なぜでしょうか?? これは、割れたものをくっつけて完全な形に直すよりも、割れたものをそのまま磨き直してペンダント等に転用するケースの方が圧倒的に多かったためです。つまり、穴をあけてもそれは、ペンダント用に穴をあけている場合が多いということです。なので花鳥山遺跡で見つかった耳飾りは珍しいケースといえます。いずれにしても当時の人が物を大切にしていたことが窺われますね! 今回ご紹介した玦状耳飾りは現在、県立考古博物館にて展示されています。 ぜひ考古博物館で本物をご覧になってください!! |