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ページID:70890更新日:2017年5月19日
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笛吹市の遺跡
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遺跡概要狐原遺跡(きつねっぱらいせき)は、笛吹市一宮町竹原田地内に位置する遺跡です。笛吹川の支流である金川によって形成された扇状地の中央部に立地しており、周辺には四ツ塚古墳群や甲斐国分寺・国分尼寺跡といった古墳時代から平安時代にかけての山梨県を代表する遺跡が多く分布しています。 県立山梨園芸高等学校(現:笛吹高校)の農業機械実習場の建設に伴い、1994年4月~10月にかけて発掘調査が実施されたもので、平安時代の竪穴住居跡や人骨を伴う墓の他、200点を超える墨書土器などが出土しました。参照→遺跡トピックスNo.0022狐原遺跡 狐原遺跡全景
遺跡名:狐原遺跡 時代:平安時代 所在地:笛吹市一宮町竹原田 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第120集『狐原遺跡』 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
9号住居跡から出土した土器下の写真は9号住居跡から出土した平瓶(ひらべ)(「ひらか」、「へいべい」ともいう)という須恵器で、古墳時代の後期(6世紀末)から平安時代にかけて生産されました。9号住居跡から出土したものは須恵器ですが、平安時代の平瓶には、釉薬のかかった灰釉陶器や緑釉陶器もあります。 9号住居跡から出土した平瓶(1)
9号住居跡から出土した平瓶(2) 何に使われたものだろう?この平瓶ですが、ちょっと不思議な形をしていますね。何に使用されたものだと思いますか? 実を言うと用途については、はっきりとは分かっていません。酒を入れたとする説、尿瓶としていたとする説など色々な意見が出ています。ただ、一様に須恵器や灰釉陶器のような粒子間の隙間が細かい、保水性に富んだ焼き物で作成されていることから、なんらかの液体を入れて使用していた可能性が高いと思われます。
さて、狐原遺跡からは多くの墨書土器が出土しており、この平瓶が見つかった9号住居跡からも、「玉井」と記された墨書土器が見つかっています。(「玉井」とは当時の郷名である「山梨東郡玉井郷」を示しているとみられます。) また狐原遺跡は、古代甲斐国の中心地であった甲斐国府や甲斐国分寺・国分尼寺に近接しており、このような立地から役人のような役割を担った人物がいた可能性が考えられます。もしかしたら日常的に墨をすって文字を書いていたのかもしれません。 墨と筆で文字を書くには、当然ですが硯で墨をすらなくてはならなくて、墨をするとき水が必要になります。 9号住居跡からは残念ながら硯や筆は見つかっていないので想像の域を出ませんが、ひょっとしたらこの平瓶は、墨をする際の水差しのようにして使用していたのかもしれませんね。みなさんはどう思われますか? |