トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > No.507鰍沢河岸跡?イカサマサイコロ?
ページID:92970更新日:2020年1月14日
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鰍沢河岸の遺跡トピックス
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あけましておめでとうございます! 新年も山梨県埋蔵文化財センターをよろしくお願いいたします。
みなさま、お正月はいかがお過ごしでしたか? 初詣に行ったり、おもちをついたり、お酒を呑んだり… ご家族やご親戚、お仲間でかるたやすごろく、羽根つきにたこあげなどの 正月遊びを楽しんだ方もいらっしゃると思います。
今回ご紹介する遺跡は、みなさんも正月遊びで使ったかもしれない “あるもの”が見つかった富士川町にある鰍沢河岸跡(かじかざわかしあと)です。 鰍沢河岸跡の概要鰍沢河岸跡は、江戸時代に富士川沿いに開かれた、いわば川の港です。甲信地域の各地から集められた大量の年貢米(ねんぐまい)を江戸へ運び出すほか、塩をはじめとした重要な物資を甲信地域に運び入れるなどの重要な役割を果たしていました。昭和初め頃に身延線が甲府まで全線開通するまで大いに栄えた場所でした。 これまで行われた6回の発掘調査により、そこで暮らした人々の日常生活の様子(遺跡トピックスNo.5、No.47など)や、米蔵、問屋、飲食店などが建ち並ぶ活気あふれる賑わいの風景(遺跡トピックスNo.27、No.35など)が浮かび上がってきました。
所在地:山梨県南巨摩郡富士川町1374-5外 時代:近世・近代 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第148集(1998年刊行)第224集(2005年刊行)、 第235集(2006年刊行)、第238集(2006年刊行)、 第245集(2007年刊行)、第254集(2008年刊行)
サイコロ鰍沢河岸跡では、動物の骨や角、粘土で作ったサイコロが3点見つかっています。ご存知の通り、サイコロはすごろくなどのあそびや博打(ばくち)に使われる小道具です。みなさんもすごろくで使いましたか? 時代劇でも描かれることが多いため、時代劇ファンの方は見たことがあると思いますが、江戸時代は博打が盛んに行われていました。その中でも大流行した博打が、「サイコロ賭博(とばく)」でした。しかし、当時の幕府は決して公認していたわけではなく、博打の取り締まりに努めていました。特に目を光らせていたのが、「丁半(ちょうはん)」という、日本の伝統的なサイコロ賭博です。
聞いたことはありますか?
薄暗い室内で煙草をふかした男達… 片方の肩を出して胸にさらしを巻いた女がザルを床に伏せ、 「丁!」「半!」と飛び交う声… 隣の部屋ではいかにも悪そうな男が怪しい話をしている… 時代劇で見たこんなシーンで行われていたのが、「丁半」です。
使う道具はサイコロ2つと茶碗ほどの大きさのザル(ツボ)。 審判員兼進行係の人(中盆)とツボを振る人(ツボ振り師)が勝負を進行し、お客がお金を賭けました。 ザルに2つのサイコロを入れ、床の上に伏せます。ザルを上げた時に出ているサイコロの目が丁(偶数)か半(奇数)かを当てて勝敗を決めました。 そんな博打にも使われたサイコロですが、鰍沢河岸跡で見つかったサイコロのうち、一つだけおかしなものがあります。
お分かりいただけたでしょうか…?
そうです、Cは目の数が1・3・5の奇数しかありません…。
通常のサイコロ(A・B)は1~6までの数字がふられ、対面の数字を足すと必ず7になります。 Cのサイコロは、イカサマのために作ったものと考えられています。 奇数だけなので、おそらく丁半に使ったのでしょう。ずるい人です。昔の人の“人間らしさ”が垣間見えることができておもしろいですね。
遺跡から見つかるものからは、昔の人の生活が色濃くうかがえ、さまざまなものから“人間らしさ”を感じることができます。 遺跡なんて昔のこと…と思うかもしれませんが、よく目をこらしてみると、現代に生きる私たちにも共感がもてるようなものが隠れているかもしれません。
〈参考文献〉 江戸遺跡研究会 編 2001『図説江戸考古学研究辞典』柏書房 棚橋正博・村田裕司 編 2004『絵でよむ江戸のくらし風俗大事典』柏書房
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