トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > No.446塩瀬下原遺跡(しおせしたっぱら)大月市
ページID:74512更新日:2017年5月18日
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大月市の遺跡0013塩瀬下原遺跡-敷石住居-0083塩瀬下原遺跡-土器・石器-0227塩瀬下原遺跡-石皿-0063大月遺跡0215大月遺跡-クリの炭化種子-0314大月遺跡-石器-0138原平遺跡-縄文時代早期末の住居-0279御所遺跡-奈良・平安時代の竪穴住居跡-
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塩瀬下原遺跡(しおせしたっぱら)〔大月市〕塩瀬下原遺跡は、桂川流域下水道終末処理場建設に伴って平成7年度から4年に渡って発掘調査されました。今回は、第4次調査で発見された敷石住居跡に関係する遺構の一つを紹介したいと思います。この敷石住居跡は、いくつもの遺構が重なり合ってできたものと考えています。特に注目されたのは、関東地域で最大級といえる大きさと、炉を中心に敷石が十字型に敷かれていたことですが、手に持つ部分のついた鏡(柄鏡《えかがみ》)の形をしていてことが写真からわかります。円形の居住空間と柄の部分にあたる入り口部分と見ることが一般的で、十字型に置かれた敷石以外にも、居住部分の奥まった所に、三日月型の敷石がありました。この三日月型の敷石の中に、環礫方形配石遺構は作られていました。 矢印の部分が環礫方形配石遺構です。
所在地大月市梁川地内 時代縄文・奈良・平安 報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第191集2001.3刊
環礫方形配石遺構と出土遺物
環礫方形配石遺構は、小さな礫(れき)を一辺5mほどの方形に並べたものですが、この遺跡で発見されたものは、一辺が3mほどでコの字型でした。つまり入り口方向の一辺がなく、方形という形にはなっていません。発掘当時、小さな礫の帯は、三日月型の敷石部分の敷石を外し、その隙間に配置したものと考えました。また、この礫の中には、磨製石斧(ませいせきふ)や石棒(せきぼう)などの破片が含まれていたことからも、敷石住居が使われていた後、何らかの目的をもってつくられたものと思われます。これが祭祀(さいし《おまつり》)に使われた遺構かどうかはわかりませんでした。どんな目的でなぜつくられたかは、まだまだ不明な点が多い遺構です。
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