トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > No.531 獅子之前遺跡-ナゾの土偶の脚-
ページID:106107更新日:2022年9月28日
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甲州市の遺跡トピックス
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獅子之前遺跡について獅子之前遺跡は、甲州市塩山千野の重川右岸の段丘上に位置します。 平成元年と平成2年に発掘調査が行われ、縄文時代前期・晩期、弥生時代前期・中期、古墳時代、平安時代、中世、近世の生活の痕跡が見つかりました。 今回は、縄文時代のことを紹介します。この遺跡では、主に縄文時代前期後葉(今から約6,000年前)の遺構や遺物が見つかっています。
所在地:甲州市塩山千野 時代:縄文時代前期~晩期、弥生時代前~中期、古墳時代、平安時代、中世、近世 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告第61集 調査期間:(第1次)平成元年5月~12月、(第2次)平成2年6月~7月 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
獅子之前遺跡 遠景
発掘調査のようす まずは土偶のおさらい今のところ、日本列島では滋賀県相谷熊原遺跡で見つかった縄文時代草創期(今から約13,000年前)の土偶が最も古い土偶です。草創期から早期にかけて作られた土偶は、「発生・出現期の土偶」と呼ばれ、基本的には肩の辺りから胴部を板状に表して乳房をつけた、女性の上半身を表現したものです(原田1997)。 縄文時代前期になると出土数が増えて分布も少し広がり、各地で板状の土偶が作られはじめます。この頃から明確な頭部や手足など、ヒトの全身像を表すようになりますが、板状のため自立はしません。山梨県では、この頃から土偶を作り始めたようです。 そして、中期初頭には国宝「縄文のビーナス」を代表とするような、立体的で自立する土偶が出現します。大きかったり、小さかったり、ポーズをとったりする個性的な土偶の造形は、中期になって定着します。 獅子之前遺跡の土偶獅子之前遺跡では、土偶が11点見つかっています。ちなみに、前期に一つの遺跡から10点以上見つかる例はあまりありません。板状の土偶のほかに、細い腕のような破片、脚のような破片が見つかっています。この中で特に注目していただきたいのは、こちらの2点です。 獅子之前遺跡の土偶 なんだかよくわかりませんね。右側はわかりやすいかもしれません。 実はこれ、土偶の脚なのです。 上でも説明したとおり、この頃は板状の土偶が一般的です。それにも関わらず、この脚は丸みを帯びていて立体的です。また、細い紐状にした粘土を貼り付けた文様があります。この文様のつけ方は、前期後葉の土器につけられる文様と共通しています。 このうち、右側の脚は4号住居跡の中から見つかっています。この住居跡からは前期後葉の諸磯b式土器がまとまって出土していることから、土偶も同時期のものと考えられます。 土偶の出土状況 立体化する土偶山梨県域は縄文時代前期の土偶が多く、峡東地域(特に笛吹市、甲州市)に集中しています。過去の遺跡トピックスでは、笛吹市桂野遺跡の前期土偶のことを取り上げています(遺跡トピックスNo.111)。 桂野遺跡の土偶は、板状のからだですが、頭部に粘土紐を貼り付けてやや立体的に作り出しています。 この時期の山梨の縄文人たちは、板状土偶から脱却し、立体的にヒトガタを作ろうと試行錯誤していたのでしょうか?やがてその工夫は、立体的でひとりで立つことのできる土偶を作り出したと考えられます。 かたちが変化するということは、そのモノの使い方が変化した可能性が考えられます。小型の板状土偶は個人が持つもので、中~大型で自立する土偶は、多くの人の目につくように置いたのかもしれません。 ついつい縄文中期以降の土偶の個性的な顔やポーズに注目してしまうかもしれませんが、顔の表現がなくても、前期の土偶はわたしたちに様々なことを考えさせてくれる重要な存在なのです。
【引用・参考文献】 市川恵子1999「縄文時代前期板状土偶から中期河童形土偶へ-御坂町桂野遺跡出土土偶に関する一考察-」『研究紀要』15 山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター 39-52頁 今福利恵2000「中部地方の初期立像土偶の成立と展開」『土偶研究の地平』4 勉誠社 63-113頁 原田昌幸1997「発生・出現期の土偶総論」『土偶研究の地平』 勉誠社 217-269頁
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