トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > No.0546災害復旧の痕跡~池田神明遺跡(笛吹市)~
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上の写真は令和6年度に発掘調査を行った笛吹市にある池田神明遺跡の様子です。一体何の痕跡でしょう。
池田神明遺跡は令和6年8月~10月にかけて調査を行った遺跡です。1面目の調査では、近世以降の畑跡と天地返し跡を、2面目の調査では中世の水田跡が発見されました。令和4年度にも今回の調査地点の南側で発掘調査を行っており、中世の畑跡を発見しています。
その中でも今回は1面目の畑跡と天地返し跡に注目してみましょう。
遺跡名:池田神明遺跡(いけだしんめいいせき)
所在地:笛吹市石和町唐柏地区
時代:中世~近世
調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
過去の関連遺跡トピックス No.0540
調査対象地周辺は笛吹川の氾濫原にあたり、発掘調査を行うと厚い砂で覆われた洪水被害の痕跡を見つけることができます。
本遺跡の発掘調査では地表下1mまでは厚い洪水砂に覆われていました。これは石和町で明治40年(1907)に起こった大水害の痕跡と考えています。大水害については『石和町誌』にも記載されており、大きな被害があったことがわかります。
今回の調査でこの土地では災害復旧を行っており、畑跡を掘り込んで天地返しを行っていたことがわかりました。
洪水関連の遺跡トピックスはこちら No.0499、No.0538
白線:新たに作られた畑面 赤線:今回見つかった畑跡と天地返し跡
天地返しの様子
では改めて冒頭の写真を見てみましょう。手前の赤色の部分が畑の跡です。奥の黄色の部分には、手前の畑よりも大きな畝間のようなものが見えます。これが天地返しの跡です。天地返しとは一般的に農業の用語で耕地の表層(上層)と深層(下層)を入れ替えることを言い、土壌改良を目的に行います。
天地返しの跡は山梨県以外でも確認されており、特に群馬県や神奈川県では洪水砂ではなく火山灰によって埋まった土地を復旧するために行ったようです。
過去に甲府市東河原遺跡で発見された畑跡と見られる痕跡の一部も、洪水で畑に砂がかぶってしまったことを受け、下の畑の土と上の砂を入れ替えた天地返しの跡ではないかと考えられています。
東河原遺跡の遺跡トピックス No.0524
地層をよく観察してみると手前の畑が砂で埋まった後に、天地返しを行ったことを読みとることができました。
天地返しは周辺で見つかった遺物から江戸時代のものであることがわかっています。そのため土と洪水砂を入れ替える作業は機械ではなくすべて人力で行いました。調査範囲外でも同じように天地返しを行ったかもしれません。そう考えると災害にあってもなおその土地を復旧し、生活する人々の苦労を想像することができますね。
参考文献:石和町町誌編さん委員会1987『石和町誌 第一巻 自然編歴史編』