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更新日:2017年3月13日
その昔から豊かな水に恵まれてきた山梨には、水によって栄えてきた歴史があり、水にまつわる伝説も残されています。
江戸時代初期に徳川家康によって江戸への流通ルートとして開通された、鰍沢から静岡県富士市まで続く72kmの舟運です。駿河に向かう時は米を、甲斐に戻る時は塩や海産物を載せ、最盛期には400艘を超える舟が行き来していたと言われています。
甲府盆地はその昔、湖であったという伝説が残っています。稲積地蔵が「この水を抜けば肥沃な土地が現れるはず」と、神様に相談した。そこで、穴切(あなぎり)明神が山に穴を開け、蹴裂(けさく)明神が岩を蹴り飛ばし、さらに瀬立(せだち)不動が川を作って水を導いた。こうして、甲府盆地の水は抜け、人々は豊かに暮らせるようになったと言われています。
武田信玄が氾濫を繰り返す釜無川の水を治めるために築堤させたといわれる堤防で、現在の河川工学の手本とされている工法が随所にみられます。江戸時代後期に編纂された「甲斐国誌」に『信玄堤』と記述があります。武田信玄の治世の功績を称え『信玄堤』と呼ばれるようになったようです。