トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0366常葉川堤防遺跡(身延町)
ページID:51745更新日:2017年6月8日
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身延町の遺跡 |
身延町(旧下部町)波高島地内にある常葉川堤防遺跡は、明治21年に測量された地図に記載されている堤防遺跡です。現在は、水田の下に埋もれていましたが、中部横断自動車道建設事業に伴い発掘調査が行われました。調査の結果、堤防の川裏側の法先(のりさき:堤防が地面に接するところ)部分と堤防本体の一部が発見されました。波高島には富士川舟運の河岸が置かれ、「舟丁場(ふなちょうば)」と呼ばれる造船所もあったと言われています河岸で栄えた波高島の集落にとって、常葉川の増水から守ってくれる堤防は重要なものだったと考えられます。 写真左:常葉川堤防跡全景 写真右:堤防の上部から出土した木材 関連トピックス 川にすむ牛とは「牛類(うしるい)」とは川の流れから、堤防などを守るために杭(丸太)を三角錐や方錐状に組んで作られる水制(すいせい:堤防や河岸を川から守るための施設)の一種です。三角錐や方錐の形をした牛類は「菱牛(ひしうし)」と呼ばれています。牛類の歴史は奈良時代にさかのぼるとされ、杭を組んだ形が2本の角を持っているように見えることから「牛」の名前が付けられたと言われています。牛類は、主に川底に石が多く杭を打ち込むことが困難な扇状地などの河川において使用されました。 写真左:笛吹市川中島の笛吹川河川敷に設置されている聖牛(コンクリート製) 写真右:同じく菱牛 お知らせ山梨県埋蔵文化財センターでは、毎年シンポジウムを開催しています。今年のテーマは、「自然災害と考古学~過去からの警告~」です。 |